【2020春…新たなスタート①】甲子園で本塁打放った星兼太さん「いつか地元に貢献を」 

野球を通して、学んだことがある。その思いを胸に、この春、新たなスタートを切る新潟の<野球人>を3人紹介する。

1人目は日本文理高校OBで、今春東洋大を卒業した星兼太さん(22歳・見附市出身)。高校時代は2年夏の甲子園で本塁打を放つなど、全国ベスト4進出に貢献する活躍を見せた。しかし東都の名門・東洋大に進学後は、試行錯誤の末に「自分の打撃を見失ってしまった」。リーグ戦出場は5試合にとどまった。野球からの引退を決意し、4月からは埼玉県にある一般企業に就職する。星さんは「野球を通していい思いも悔しい思いもし、たくさんの仲間に巡り合うことができた」と振り返り、「いつか地元の野球界に貢献できれば」と前を向く。

東洋大を卒業した星兼太さん 2月には地元・見附市でのイベントに姿を見せた
(撮影/武山智史)

その表情は晴れやかだった。

東洋大での4年間を終え、2月に地元・見附市に帰省した。

「野球をやってきてよかったです」

久々に会う星さんは、現役時代には見せなかった柔和な目で、はっきり言った。


日本文理高校では1年からレギュラーに 思い切りのいい打撃で活躍した

星さんの球歴は華やかだ。

中学時代は硬式野球チームの長岡東シニアの主力打者として活躍し、全日本代表に選出された。日本文理高校では入学直後の練習試合で3打席連続本塁打をマークし、大井道夫監督(当時)の度肝を抜いた。1年秋の神宮大会決勝では先頭打者本塁打を叩き込み、2年夏の甲子園では1回戦の大分戦で後にプロ入りする佐野皓大投手(オリックス)から勝ち越し本塁打を放った。3年夏は甲子園出場を逃したものの、新潟大会準決勝(新潟戦)では8回に試合を決める本塁打を放った。

修行僧のような鋭い目。とことん自分を追い込む練習姿が印象的だった。

そして、初球から思い切りよく振り抜く打撃で印象に残る本塁打を量産した。「新潟県史上、最強の打者」…星さんをそう評価する新潟の野球関係者は多い。

「プロを目指したい」。4年前、そう言って故郷を後にした。大学野球の名門・東洋大学の門を叩いた。

入学後、すぐに一軍であるAチームに抜てきされた。

しかし、なかなか練習試合で結果を残すことができなかった。

「実は高校3年生の時にあまり打てなかったと、自分の中で思っていました。その分、自信を持って大学に入学したわけではなかったのです。入学後にAチームのメンバーには入れてもらうことができましたが、公式戦に出場する機会はなかった。ただ、その時に悔しい気持ちを持ってスタートしたことで、練習も自主練習もずっと真剣に取り組むことができました」

高校時代は簡単に打つことができたヒットが出ない。自分の打撃を追求しようと、インターネットの動画サイトなどでも研究を続けたが、調子は上向いてこなかった。

「今の時代は特に動画などでいろいろな打撃理論が世に溢れていますが、自分で消化しきれませんでした。試行錯誤をしすぎて、“自分の形”というものがどんどん分からなくなっていきました。いろいろ試し過ぎたのがよくなかったのだと思います。自分にプレッシャーをかけ過ぎた部分もありました」

リーグ戦には5試合に出場。「ヒットは1本だけ打ったのは憶えています」。高校時代の活躍を知る人たちからは「星はどうしているのか?」と言われた。「期待をしてもらっていた分、自分自身もやるせない気持ち…全く結果が出せなかったのが悔しくて情けない気持ちでした」と唇を噛む。


大学時代の星さん 打撃に悩んだ末、試行錯誤を繰り返した

それでも、腐らなかった。4年間、厳しい大学野球をやり通した。その原動力は何だったのか。

「一番は…家族です。ずっと応援してくれていましたから。それから小中高校とお世話になった指導者の皆さんの存在です。そういう人たちの応援が、新潟を離れた後、うまくいかなくて悩んでいた時期でも、『もう一度活躍したい』という思いにつながりました」

最終学年の4年生として迎えた去年春。

星さんは「就職を考える時期になり、このリーグ戦で選手として一区切りつけよう」と決意して臨んだ。

「最後まで自分にできるだけのことをしようと練習をして臨みました。出場機会はなかったのですが、自分の中ではやれることはやった。中途半端な気持ちではなく、うまく区切りをつけることができました」

子どもの頃からのプロ入りの目標は叶わなかったが、自分が辿ってきた野球の道に後悔はなかった。

その後、就職活動の結果、埼玉県にある一般企業から内定をもらった。今は仕事を通して社会に貢献したいと考えている。

そして、新潟県の高校野球の後輩たち、大学野球を目指す後輩たちにエールを送る。

「未来は決まっていません。やればやった分だけ自分に返ってくる可能性があります。自分がやらなければ、後に続く人たちの次の道も開けてこない。日本文理の後輩たち、新潟の野球の後輩たちの活躍を見るとうれしい。自分は野球を通して、いろいろないい思いも、悔しい思いもしてきました、もし機会があるならば、そういうものを少しでも伝えられたらなと思います」

2月24日、見附市で行われた女子野球のイベント会場に姿を見せた星さんは、楽しそうに野球をする子どもたちの姿を見て、こう言った。

「10年以上、野球をやってきた中で、苦しいこともありましたが、野球をやってきてよかったなという思いです。野球のおかげでたくさんの仲間や人たち巡り合うことができました。今、野球人口が減少している中で、こうやって野球が好きでやっている子どもたちの可能性、未来を潰さないよう、好きなことをできる環境を整えられることができたらと思います。自分は埼玉で就職しますが、いつか地元の野球界に貢献できればと思っています」

(取材・撮影・文/岡田浩人 撮影/武山智史 撮影/嶋田健一)


【回顧2019】指揮官に聞く③北越高・小島清監督

今季、新潟の野球界をけん引してきた3人の指揮官に2019年の自チームを振り返ってもらい、来季への期待と展望を語ってもらう「回顧2019」。最終回の第3回は高校野球で今秋の新潟県大会で8年ぶりに優勝し、北信越大会で2勝を挙げベスト4進出を果たした北越高の小島清監督(44)に話を聞いた。今季の北越は春ベスト4、夏ベスト8、秋は優勝で北信越ベスト4と県内の高校で最も多くの公式戦を戦った。就任11年目。初の甲子園出場へ、「まだまだ成長できる」と今冬のチームの成長に期待を寄せている。

今季を振り返る北越高・小島清監督 続きを読む


【回顧2019】指揮官に聞く②日本文理高・鈴木崇監督

今季、新潟の野球界をけん引してきた3人の指揮官に2019年の自チームを振り返ってもらい、来季への期待と展望を語ってもらう「回顧2019」。第2回は高校野球で今夏の新潟大会を制し、監督として初めて甲子園で指揮を執った日本文理高の鈴木崇監督(39)に話を聞いた。昨秋、今春、今夏と県大会を制し、甲子園では1回戦で関東一高(東東京)に敗れたものの6対10と善戦した。2年生レギュラーを多く抱え、秋の県大会でも選抜甲子園出場を期待された。しかし県大会初戦となる2回戦で東京学館新潟に敗れ、実に32年ぶりとなる初戦敗退を喫した。“天国と地獄”を味わった指揮官が今季を振り返り、来季に向けたチームの現状を語った。

冬季練習中のグラウンドで、今季を振り返る日本文理高・鈴木崇監督 続きを読む


【回顧2019】指揮官に聞く①新潟医療福祉大・佐藤和也監督

2019年も残りあとわずかとなった。今季、新潟の野球界をけん引してきた3人の指揮官に2019年の自チームを振り返ってもらい、来季への期待と展望を語ってもらう。第1回は新潟医療福祉大を率いて7年目のシーズンを終えた佐藤和也監督(63)。関甲新1部で初のリーグ優勝を狙った今春はまさかの全敗で6位となり、その後の入れ替え戦でなんとか1部残留を決める内容だった。しかし秋は一転、投打が噛み合い、優勝した白鷗大から勝ち点を奪うなど6勝5敗と勝ち越し。最後まで上位争いを演じた末、勝ち点3の4位となった。4年生は卒業するが、チームの中心に成長した2、3年生を軸に、来季は創部初の優勝を目指す。

今季を振り返る新潟医療福祉大・佐藤和也監督 続きを読む


【女子野球】最多勝の松谷「将来は日本代表に」 新年の意気込み語る

柏崎市出身で日本女子プロ野球・愛知ディオーネに所属する松谷比菜乃投手(20)が3日、出身チームである中学硬式野球チーム・柏崎シニアの練習始めに出席し、新年の抱負を述べた。昨季は育成チームからトップチームの愛知で先発投手としてデビュー。8勝を挙げ、最多勝のタイトルを獲得するとともに、最優秀新人賞にも選ばれた。新たなシーズンに向け、「タイトルも獲りたいが、まずはチームに貢献したい。将来的には日本代表になりたい」と意気込みを語った。

最多勝のタイトルと最優秀新人賞を獲得した松谷比菜乃 続きを読む


【インタビュー】「ファンの応援に感謝」 現役引退の今井啓介さんが胸中を語る

10月4日に広島カープから来季の契約を結ばないと伝えられ、現役引退の意向を表明していた長岡市出身の投手・今井啓介さん(30・中越高)が、このほど新潟野球ドットコムの取材に応じた。今井さんは「やり切ったので悔いはない。これまでのファンの応援に感謝の気持ちを伝えたい。今後は未定だが、野球に関わる仕事をしていきたい」と語った。12日に地元でファンに現役引退を報告する。

現役引退を決めた今井啓介さん プロ12年間で一軍で114試合に登板
8勝20敗1セーブで防御率3・59の成績を残した 続きを読む


【インタビュー】日本文理OBと仙台育英OBの高橋兄弟に聞く

甲子園の初戦に勝利した日本文理の2回戦の相手は宮城・仙台育英に決まりました。この2校の対戦について、この兄弟はどう見ているのだろう、とふと思い立ちました。柏崎市出身で、2009年夏の日本文理の甲子園準優勝メンバーである高橋隼之介さん(25)と、2歳年下の弟で2012年夏に仙台育英の甲子園ベスト16入りに貢献した高橋竜之介さん(22)の兄弟です。7月に大阪に転勤となった隼之介さんと、仕事のため大阪入りしている竜之介さんの2人に話を聞きました。

日本文理OBの高橋隼之介さん(左)と仙台育英OBの弟・竜之介さん 続きを読む


【球春到来インタビュー】日本文理OBの栗山賢 「153キロ出しNPBへ」

三条市出身で日本文理高校時代に3度の甲子園出場(06年春夏、07年春)を果たした栗山賢投手(26・福島ホープス所属)が28日、新潟市のハードオフ・エコスタジアムでおこなわれたルートインBCリーグのオープン戦で、久々に地元・新潟のマウンドに上がった。「3月上旬に腰を痛め、あまり投げ込みができていない」と不安を口にしていたが、今季初めて登板した実戦マウンドで1回を投げ、被安打1、奪三振1、無失点と上々の出来だった。試合後、栗山投手に話を聞いた。

新潟とのオープン戦に登板した栗山賢投手

― 久々の実戦マウンドは?
「すごく緊張したが、全球種でストライクを取ることができるように投げた。直球は少し浮いていたが打者も振ってきたので、いいボールが行っている手応えがあった。(球場表示は139キロだったが)指先のかかりもよかった」
― BCリーグで6年目のシーズン(群馬4年、福島2年目)を迎える
「一時期は野球をやめようとも思ったが、年齢を重ねるにつれて段々よくなっている。衰えたらやめようと思っていたが、衰えを感じないのでやめることができない(笑)。毎年、自分が成長しているのがわかる」

「年々成長している」と語る栗山投手

― 去年は直球の最速が149キロを計測した
「自己最速だった。自分なりに肉体改造のやり方をインターネットなどで調べて、野球以外に他のアスリートのトレーニングに興味を持った。ハンマー投げの室伏広治選手はパワーもあるが足も速いし、ボールを投げても速い。室伏選手を参考に、筋肉が大きいだけでなく、その筋肉をいかにうまく使うことができるかを考えながらトレーニングをした結果が149キロだった。野球の動きにつながるように考えながら、筋肉をつけながら、なおかつ速く動くことができるアメフトの練習などを自分で調べてやってきた」
― 高校時代は決して練習好きではなかった印象があるが
「今は練習が大好き(笑)。まだまだやり足りない。グローブを持っている時間は少ないが、体を鍛えるトレーニングはしっかりやっている。(社会人時代に右肩を痛めたこともあったが)ケガをしていた頃はグラウンドにも行きたくなかった。今は練習大好きで、自分を鍛えている感覚が好き」
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日本文理高校時代の栗山投手

― 高校時代はしなやかなイメージだった
「線が細かった。あのしなやかさが今は欲しい。今のパワーと高校時代のしなやかさを組み合わせたら究極のものになるのかなと思う。まだ満足はしていない」
― 一昨年に結婚、長男の凛太郎くん(1歳)が誕生した
「子どもや家族ができてやる気が増した。すごく励みになっている」
― 今季の目標は
「数字の目標は153キロを出して、NPBに行きたい。そこだけ。年齢がネック(今年9月で27歳)だが、1歳上の大竹(秀義)さんが去年巨人(育成)に行った。去年は直球で空振りが取れたり、ファウルが取れた。変化球で空振りを取ることはできるが、かわして空振りを取って抑えてもNPBへのアピールにならない。直球で抑えたい」

1回を無失点に抑え笑顔でナインに迎えられる栗山賢投手(中央)

<関連記事> 2013年4月掲載
「新潟の高校野球史を変えた男の開幕…群馬・栗山賢投手」
https://www.niigatayakyu.com/archives/360

(取材・撮影・文/岡田浩人)


「タカマサ」と「ケント」の18.44メートル ライバル対決の舞台は神宮へ

この2人の対決には、2人にしか分からない“会話”があった。

十日町市出身で、日本文理高校を卒業した池田貴将(18)。
同じく十日町市出身で、新潟明訓高校を卒業した村山賢人(18)。
小学2年生で出会ってから10年の月日が経っていた。
一方は、日本文理のキャプテンで4番打者。
一方は、新潟明訓のエース。
『幼なじみ』であり、まぎれもない『ライバル』だった2人。

6打数1安打、1死球、1三振。
高校3年間で2人が残した直接対決の成績である。

この春、2人は高校生活を終えた。
そして大学生として新たなスタートを切る。
ライバルの物語は今、第2章が始まろうとしている。新潟明訓を卒業した村山賢人投手(左)と日本文理を卒業した池田貴将選手(右)

2人が出会ったのは十日町市立西小学校2年生の時。別々の少年野球チームで野球を始め、互いにその力を認めていた。そんな2人が5年生の時にチームの合併でチームメイトになった。

池田 「ケントは2年生の時から試合に出ていて本当にうまかった。一緒のチームになれると聞いて、これで優勝できると思いました」
村山 「タカマサはキャプテンとしてチームまとめる力があった。チームを引っ張っていく力があると思っていました」

6年の時には村山が3番打者、池田がキャプテンで4番打者に。2人でチームを引っ張り、十日町市内の大会で優勝。県大会でベスト16に進出した。2人は互いの家を行き来するほど仲良しだった。

そんな2人の関係が少しずつ変化していったのは十日町南中学校時代。2人はピッチャーとしてエースの座を争った。

村山 「エースナンバーの1番はいつもタカマサだった。自分はセンターの8番。どうしてだろう、なんで1番をもらえないんだろうと思っていた」
池田 「中学ではケントのことはライバルだと思っていた。負けたくないと思っていました」

当時、十日町南中学校で2人を指導していた松井晃一監督は強烈なライバル心を燃やしていた2人の様子をこう振り返った。
「池田は闘志を体の全面に出す負けず嫌い。村山は内に秘めた負けず嫌い。お互いピッチャーだったのですが、ある時ブルペンで互いに違うキャッチャーを指名して投げていて、僕が怒ったことがあったんです。あの頃から意識し合っていたんでしょうね」

池田、村山のダブルエースを擁する十日町南中学校は県大会でベスト16に進出。その時にエースナンバーを背負っていたのは池田だった。ある時、池田が高校進学について口にした。
「俺、文理(日本文理)に行くから」
その瞬間、村山は心に決めた。
「俺は明訓(新潟明訓)に行く」

村山は進路決定で日本文理のライバル校・新潟明訓を選択した。その時の自分の心境をこう振り返った。
村山 「どこかの段階でタカマサとは戦わなければいけないと思いました」

日本文理の中心選手に成長していった池田貴将選手


新潟明訓で1年秋からエースとしてマウンドに立ち続けてきた村山賢人投手

高校に入学し、2人は十日町市から100キロ余り離れた新潟市にあるそれぞれの学校の寮で暮らし始める。慣れない新潟市での寮生活。当初は互いにLINEで連絡を取り合い、励まし合っていた。

そんな2人の関係が変わったのは高校1年生の秋。村山が新潟明訓の投手陣の中心として頭角を現し始めた頃だった。村山は県大会4回戦・村上桜ヶ丘戦で1失点の完投勝利を収めると、続く北越戦では3安打完封。期待の1年生投手として新聞に大きく取り上げられた。

池田 「悔しかった。北越戦で投げて新聞に載った。それを見て『うわー』と思いました」

池田も1年生ながらベンチ入りし、サードのレギュラーを奪おうとしていた。日本文理は県大会では優勝し、新潟明訓とともに北信越大会に駒を進めた。しかし北信越大会1回戦で松商学園(長野)に0対15で5回コールド負けを喫してしまう。

一方、北信越大会1回戦で完投勝ち、準々決勝でも先発し勝利に貢献した村山は選抜甲子園出場まであと1勝と王手をかけた。準決勝の春江工(福井)戦でも先発した村山は3対1とリードしながら、疲れの見えた8回につかまってしまう。結局、3対5で逆転負けし、目の前にあった甲子園切符を手にできなかった。

ただ、1年生ながら2人はチームの中心選手になろうとしていた。
2人が互いに連絡を取り合うのをやめたのもこの頃だった。
互いに相手の姿を思い浮かべながら練習を重ねていた。

池田 「バッティングの調子が悪い時は、先輩から『そんなんじゃ村山を打てないぞ』と言われていました」
村山 「自分たちより部員が多い文理でタカマサが試合に出ているのを新聞で見て刺激を受けました。名前が自然に目に入って、『ああ打っているな』と思っていました」

2年夏、村山は県大会準々決勝で村上桜ヶ丘に敗れた。一方、池田は決勝で村上桜ヶ丘を破り甲子園出場を決めた。甲子園の1回戦・大阪桐蔭戦では敗れたものの、池田はタイムリーヒットを放つ活躍を見せた。

村山 「そう簡単に甲子園に行けるものじゃない。その中で甲子園に行ったタカマサは凄いと思いました。同時に気持ちがへこんで数日間引きずりました。次は負けないと思って、夏場は厳しい練習を課しました」

2年秋、新チームが発足すると池田は日本文理のキャプテンに、村山は新潟明訓のエースに、それぞれがチームの大黒柱となっていた。両チームは秋の県大会で大本命の前評判通りに勝ち進む。そして決勝で2人は初めてとなる“直接対決”を迎えた。


新潟明訓のエースに成長した村山賢人投手(2013年9月・県大会決勝)

池田と村山。
ライバル同士の初対決は3回表、1死走者なしからだった。
マウンドからホームベースまでの距離は18.44メートル。
その距離を挟んで両雄がにらみ合った。

池田 「中学生の時とは比べ物にならないくらい真っ直ぐも速くてコントロールもよかった。これは凄くいいピッチャーになったなと打席に立って実感しました」
村山 「タカマサのスイングスピードが全然違った。第一打席でレフト前にヒットを打たれて・・・全力で投げた真っ直ぐで140キロ近く出ていたと思います。正直怖かった。小学校の時からずっと一緒にやってきて、タカマサはここぞの場面で打っていた」

続く第2打席は空振りの三振。第3打席はサードへのファールフライ。池田・村山の直接対決は3打数1安打1三振だった。試合は逆転に次ぐ逆転のシーソーゲームで、終盤8回に星兼太の長打で再逆転した日本文理が4対3で新潟明訓をくだした。

村山 「あの試合はめっちゃ憶えています。8回に星くんに逆転打を打たれて、カーッとなって頭が真っ白になりました」
池田 「明訓は強かった。ケントがいいので点を取れなかった。力の差はないと思いました」


新潟明訓をくだし秋の県大会で優勝を決めた日本文理・池田貴将選手(左端)

その後、日本文理は北信越大会も制し、選抜甲子園出場を決める。選抜では1回戦で敗れたものの、秋の神宮大会で準優勝した力は全国屈指のものとなっていた。

村山 「冬場は短距離の走り込みを繰り返して、変化球の精度を上げていくのを課題にしました。タカマサはもっと上へ上へと目指してやっているはずと思って、負けないよう自分を追い込みました」

そして、2度目の直接対決の機会がやってくる。
春の県大会決勝。第1シードの日本文理と第2シードの新潟明訓が順当に勝ち上がった。
2回裏、4番の池田が打席に入る。
その瞬間、村山の目が険しさを増した。

池田 「3番の小太刀(緒飛)の時と顔つきが違った」
村山 「文理は池田のチーム。キャプテンで4番で・・・僕にとっては対文理イコール対池田でした」




「池田を抑えるにはインコースを突くしかない」
キャッチャーの水澤圭太と事前に打ち合わせをしていた村山は、1ボール2ストライクと追い込んだ4球目。果敢に内角攻めを敢行した。
その瞬間、池田の左腕にボールが当たった。
デッドボール。

さっと一塁へ向かい走り出した池田。
帽子を取った村山。
この後、日本文理の1年生・荒木陵太が長打を放ち先制。試合は3対0で秋に続き日本文理が勝利し優勝した。
一方で、この試合で村山は池田を3打数無安打に抑えた。

村山 「自分の投球ができた手応えはありました。夏までにさらに精度を上げていければと」

池田 「勝つには勝ったが、秋までは外のストレートとスライダーの出し入れで勝負してきていて、それなら何とか対応できるかなと思っていたが、あそこでインコース見せられてこれは大変だなと。甘い球はこないし、夏までにインコース打てるようにしなければと思いました」

言葉を交わすことはなかった。
しかし18.44メートルを隔てて、2人は“会話”をしていた。
ただ互いを意識し、負けたくない、負けられないと切磋琢磨して2人は成長していった。
十日町市の小学校で出会った2人は、新潟県を代表する4番打者とエースに成長していた。


18.44メートルの距離を隔て対峙した2人(去年5月12日の県大会決勝)

3年夏の新潟大会。
3度目の2人の対決の機会は、訪れなかった。

新潟明訓は準決勝で関根学園に敗れ、決勝進出を逃した。
試合後、真っ赤な目でロッカールームから出てきた村山は、消え入りそうな声でこう言った。
「タカマサに申し訳ない、と伝えてください」

この言葉を聞いた池田は、しばらく黙ったままだった。

その後、日本文理は新潟大会で優勝。甲子園でも勝ち進み、ベスト4に進出した。1回戦の大分の快速右腕・佐野皓大に始まり、全国の好投手を打ち崩した打撃は見る者に鮮烈な印象を与えた。池田は2回戦で東邦・藤嶋健人のインコースの直球をレフト前に運ぶ逆転打を放つ活躍をみせた。春の県大会決勝以降、「村山対策」としてインコース克服に取り組んだ成果だった。

池田 「(大井道夫)監督がずっと『村山を打たなければ勝てない』と速球対策を練習してきた。その結果、甲子園でいい投手と当たっても動じなかった。ケントがいなかったら自分もここまで成長できていなかったと思います」

甲子園から帰って来た池田は久しぶりに村山と直接話しをした。ライバルが幼なじみに戻るまで、実に2年の歳月が流れていた。

「ケントがいなかったらここまで成長できていなかった」と語る池田貴将選手

最終的にプロでも対戦できれば嬉しい」と話す村山賢人投手

2人はこの春、同じ首都圏の大学に進学する。池田は東洋大学、村山は国学院大学。ともに「戦国」と言われる東都大学野球連盟に所属するライバル校である。現在は国学院大は1部、東洋大は2部でリーグ戦を戦っている。

池田 「東洋は2部なので、まずは1部に昇格して神宮球場で試合をしたい。試合に出られるように頑張って、チームの力になって早く1部昇格の力になりたい」
村山 「最初の目標はローテーションに入ること。じっくりと体を鍛えて、チームの勝利に貢献できるように頑張りたい」

2人の当面の目標はベンチ入り、そしてレギュラーの座を勝ち取ること・・・十日町から新潟市へとやって来た3年前と同じである。その先には、神宮球場に舞台を替えて3度目となる直接対決が待ち望まれる。そして、互いに最終目標は「プロ」と言い切る。

池田 「最終目標はプロ。まずは高校で達成できなかった日本一を大学で達成できるように頑張りたい。ケントは一生のライバル。対戦したら結果を残せるように頑張りたい」
村山 「小学校からずっと一緒で、それだけでも凄いことだなと思う。プロに入るだけでなく活躍することが目標。お互いに努力して最終的にプロでも対戦できれば嬉しい」

18.44メートルを隔てたライバルの物語の舞台は、この春から神宮球場へと場所を変える。そしてその先も見据えた2人の切磋琢磨は、もう始まっている。

(取材・撮影・文/岡田浩人 取材協力/ハードオフ・エコスタジアム新潟)


【女子野球】益田詩歩さんが球団代表に就任 新潟県初の女子プロ選手

長岡市出身で新潟県初の女子プロ野球選手として活躍した益田詩歩さん(26)が日本女子プロ野球機構の東北レイア(本拠地・宮城県仙台市)の球団代表に就任した。リーグに所属する4球団のうち東北レイアは今季はリーグ戦に参戦せず、若手の育成に力を入れながら地域に根差した女子プロ野球の底辺拡大に力を注ぐチームとなる。2010年から4年間女子プロ選手としてリーグを引っ張り、2013年シーズンで現役を引退した益田さん。フロントの立場から「女子プロ野球の環境を整え、新しいスポーツ文化を生み出したい。東北から女子野球熱の高い新潟をバックアップしたい」と意気込んでいる。

東北レイアの球団代表に就任した益田詩歩さん

Q2013年に現役を辞めた理由は?
益田「4年間プロ選手をやらせていただき、プロ野球選手という夢が叶って嬉しかった。その反面、お客さんが減っていって女子プロ野球がこのままでは未来がないのでは、というフロント的な考えをずっと思っていた。機構の会議に出た時に、スタッフの中にプロ選手がいた方がいいのではないかと思った。自分の仲間が野球をする環境、女子プロ野球を運営する環境、お客さんが女子プロ野球を楽しめる環境を変えていきたいと思った。女子プロ野球には凄く可能性を感じていて、新しいスポーツ文化を生み出すことができると思った」
Q女子プロ野球の魅力をどう感じている?
益田「女子プロ野球選手は野球が大好きで、野球ができる環境を求めてプロになっている。お金のために野球をやっていない。高校野球に近い。全力プレーで、かつ選手が楽しんでやっていることがお客さんの心を打つのではないか。選手時代から女子プロ野球はお客さんが心から笑顔になってくれる感じを受けてきた。東北で活動することでいろいろな人に元気を与えることができるのでは」
Q引退後の2014年はどうしていた?
「埼玉の2チームの試合運営に関わっていた。お客さんに対する球場内の演出など。そこでは1つの試合に対してこれだけの人、スタッフが動いているのかと実感した。選手時代は全く見えていなかった。こういうことも元選手だから現役選手に伝えられる。逆に選手の気持ちもフロントに伝えられる」

現役時代の益田選手(2013年6月) 巧打の外野手として活躍した

Q新たに東北を拠点とする球団の代表に就任した
「今季は京都フローラ、兵庫ディオーネ、埼玉アストライアの3チームが前後期の公式戦を戦う。東北レイアはしっかり次世代の選手を育成する。今まではしっかりと育成ができていなかったという反省がある。1年目は若手や高卒新入団選手など12人の選手が所属する。選手の力を伸ばし、トップ3チームに選手を供給する。東北レイアは国内の女子チームとの実戦や男子とも練習試合などをやっていきたいと考えている。2017年にはこのチームで公式戦に参戦することを決めている」
Q今後、地元・新潟との関わりは?
「新潟には大きな可能性を感じている。頓所理加さん(BBガールズ普及委員会代表)の活動をはじめ女子野球が盛ん。やっと頓所さんのサポートを全力でできる。私が15歳で長岡を出た時にはなかった女子野球熱を頓所さんが作ってくれた。これを全力でバックアップしたい。仙台と新潟は近い。新潟の女子野球熱をもっともっと熱くしたい。新潟を女子のレベルの高い県にできたらと思う。ぜひ益田を呼んでほしい」
Q改めて目標は
「女子プロ野球選手になった時、オーストラリアで岡島秀樹さんに直談判して一緒にトレーニングをさせてもらったことがある。行動力には自信がある。チャンスは誰にでもある。そういうチャンスはどんどん掴んでいってほしいと若い選手やスタッフに伝えたい。目先だけではなく先を見た時の競技レベルを上げたい。才能ある選手が入ってくるので開花させてあげたい。日本で子どもたちがもっと野球ができるような環境を作りたい。このチームならできる。東北各地で子どもたちと野球を楽しめる環境を作りたい」

<参考>
益田詩歩さんの女子プロ野球選手として歩みは、2013年3月11日の当サイト記事に詳しく掲載してあります。参考にしてください。
https://www.niigatayakyu.com/archives/117


◎お知らせ◎
県内の野球好きの小学生女子のためのイベント「BBガールズ ウィンターフェスタ2015」(主催・BBガールズ普及委員会)が2月15日(日)午前9時30分から12時30分まで、出雲崎町民体育館でおこなわれます。新潟県初の女子プロ野球選手として活躍した益田詩歩さんの野球教室もおこなわれます。参加申し込みは以下のポスターに記された方法で事務局までお申し込みください。
(注意:開始時刻が『PM9:30』と記されていますが、『AM9:30』の間違いです)


(取材・撮影・文/岡田浩人)