2014年夏…きっとこの場所にいたであろう少年を思いながら

7月10日に開幕した高校野球・新潟大会も早いもので3回戦が終わろうとしています。大会はこれから4回戦、準々決勝、準決勝、決勝・・・といよいよ佳境に入っていきます。一方でもう既に70チームが敗退し、3年生の野球部員は「敗退」=「引退」という道を余儀なくされていると思います。そんな3年生に少し長くなりますが、「同級生」の少年のお話しをしたいと思います。

10日にハードオフ・エコスタジアムでおこなわれた開会式で、88チームの選手たちの入場行進を眺めながら、元気でいればきっとここで行進していたであろう1人の少年と、スタンドで声援を送っていたであろう少年のお母さんのことを思っていました。その少年の名は水島樹人(みきと)くん。お母さんは水島正江さん。2人はもうこの世にはいません。

糸魚川市に住む野球少年だった樹人くんはイチロー選手に憧れ、将来はプロ野球選手を夢見る小学4年生でした。サッカーのアルビレックス新潟がJ1で活躍する様子を見て、「何で新潟にはプロ野球チームがないんだろう。できればいいのにな」とお母さんの正江さんに話していました。

水島樹人くん

ところが2006年7月9日、糸魚川市美山球場でおこなわれた大会の試合前、樹人くんはランニング中に突然倒れ、急性心不全で亡くなりました。当時、球場にはAED(自動体外式除細動器)がありませんでした。もしAEDがあったら、その場で蘇生措置がおこなわれ、樹人くんの命はひょっとしたら助かっていたかもしれません。

僕はちょうどその頃、新潟から誕生しようとしていた独立リーグ・BCリーグの取材をしていました。村山哲二代表が2006年5月に新潟市で記者会見し、その構想を発表していました。村山代表は各県を回ってリーグの賛同者・協力者を探すために奔走していて、その様子を取材していたのです。

その村山代表のもとに7月中旬、お母さんの水島正江さんから手紙が届きます。息子を亡くしたばかりであること、その息子が新潟にプロ野球があればいいのにと言っていたこと・・・「息子の夢かなえてください。応援しています」とその手紙には綴られていました。村山代表は正江さんと会い、樹人くんの思いを形にするためリーグ創設の思いを強くします。そしてAEDを普及させるために、リーグとして取り組んでいくことを正江さんに伝えました。

僕は取材の過程で正江さんと出会います。正江さんは野球を見ることが好きな女性でした。BCリーグの試合会場に足を運んでは選手たちに声援を送っていました。時にはこちらがビックリするくらいの大きな声をだし、選手を応援していました。息子の思いが形になったBCリーグを温かく見守っていました。
正江さん
BCリーグの会場で挨拶する水島正江さん 左端は村山哲二代表(去年7月)

ところがおととし、正江さんは肺炎から不整脈を併発してしまい、長期間入院してしまいます。病床からでも村山代表への手紙で「絶対に球場に行く。野球を見たい」と伝えるくらい、息子が大好きだった野球への思いを綴っていました。一度はかなり体調も回復し、球場で野球を観戦できるようになるまでになったのですが、去年12月、突然自宅で倒れ、樹人くんのもとへと旅立ってしまいました。48歳の若さでした。

樹人くんは元気でいればことし高校3年生になっていました。きっと大好きな野球を続け、どこかの高校の野球部に入り、甲子園を目指して汗を流していたと思います。そしてその姿をお母さんの正江さんはスタンドから応援していたと思います。

10日の開会式で高田農の前川峻主将が「私は野球が大好きです」という言葉で始まる選手宣誓をおこないました。野球が大好き・・・いい言葉だなぁと思いながら聞いていました。甲子園に出ることができたとしても、その夢が叶わなくても、どちらにしてもこの夏で3年生の野球部員としての日々は終わります。でも皆さんは「野球が大好き」な気持ちは変わらないと思います。

これから正念場の試合を迎える選手の皆さんには今この瞬間に野球ができることに感謝しながらプレーをしてほしいと思いますし、残念ながら敗退してしまった選手の皆さんにも、この先の人生で野球ができる喜びを・・・命があって野球ができることへの喜びを感じながら、どんな形でもいいので野球という素晴らしいスポーツを続けてほしいなと思います。

ことしの夏も本当に素晴らしい試合が続いています。恐らく樹人くんと正江さんも球場の空から皆さんの素晴らしい試合を見つめていると思います。

(文/岡田浩人)


【高校野球】再試合は新潟明訓が勝利 3回戦6試合がおこなわれる

第96回全国高校野球選手権・新潟大会は20日、3回戦6試合が3球場でおこなわれた。18日に降雨コールド引き分けで再試合となった五泉×新潟明訓は新潟明訓が勝利。春ベスト8の中越と北越はコールド勝ちで4回戦進出を決めた。21日は3回戦残り2試合と4回戦2試合がおこなわれる。


五十公野① 力投する新潟明訓①村山賢人投手

◎20日の3回戦の結果◎
<鳥屋野>
①中越7-0白根(7回コールド)
白根000 000 0 |0
中越200 020 3 |7

②柏崎10-3新潟南
柏崎103 013 002 |10
新南000 000 300 |3

<五十公野>
①新潟明訓6-2五泉
五泉010 100 000 |2
明訓022 000 20× |6

②豊栄6-4新潟工
新工220 000 000 |4
豊栄200 400 00× |6

<悠久山>
①北越7-0新潟東(7回コールド)
新東000 000 0 |0
北越700 000 × |7

②新発田中央8-1小千谷(8回コールド)
小千谷000 000 10 |1
新発中003 020 12 |8

◎五十公野① 新潟明訓6-2五泉◎

五泉①大塚翔太投手


2回裏、新潟明訓7番・勝海光太朗選手が中前適時打を放ち2点を挙げ逆転


9回表、五泉の攻撃中 ブルペンで肩を作りながら攻撃を見守る大塚投手


9回2失点で完投した新潟明訓①村山賢人投手と捕手の水澤圭太選手

◇新潟明訓・本間健治郎監督の話◇
「夏の大会の厳しさをこの2試合で勉強させてもらった。(打順変更は)前回は漆原が先発だったが、今回は村山を立てて打順も4番で戦うんだ、これがベストという布陣で臨んだ。試合展開は修正、修正、修正の連続だった。走者を置いた後の打撃でつまづいている部分がいくつかあるので、もう少し流れができたらと思う。(投手の)村山はきょうは途中から組み立てを変えた。後半のように伸びやかに投げることができれば」

◇新潟明訓・村山賢人投手の話◇
「(先制点を奪われ)焦りはなかったが、テンポが上手くつかめなかった。悪いなりに工夫しようと思った。点を取られてスライダーを見せ球として使うように組み立てを変えた。(試合が伸びたことは)影響ない。集中を切らさずにできた。(4番打者としては)打順は関係なく集中しようと思ったが、緊張した。自分が点を取られたので、(7回のタイムリーは)点を返したかった。これからも自分たちの野球をやるだけ。集中して試合に臨みたい」

◆五泉・大塚翔太投手の話◆
「(引き分けだった)前回はみんなを信じて助けてもらったので、きょうは自分が抑えようと思ったが力んでしまった。先制してもらい抑えなきゃと力が入り、制球が荒れてしまった。1年秋に明訓に勝った時は(1つ先輩の)後藤拓朗キャプテンをはじめ先輩が支えてくれた。明訓に勝って、去年夏に負けた新潟工を相手に勝とうと思っていたが、明訓に勝てなくて悔しい。最後は村山に『次も頑張れよ』と伝えた。明訓を相手に思い切り投げて、1年秋から成長できたと思えた」

◎五十公野② 豊栄6-4新潟工◎

豊栄の2番手でマウンドに上がった①曾田祐己投手


新潟工の先発①横川泰大投手

ベスト16入りを果たした豊栄

◇豊栄・小林聡監督の話◇
「とにかくウチは弱いチーム。向こうは部員が100人近くもいるチーム。簡単に勝てないぞとベンチで言っていた。(8回の)セカンドゴロエラーもいつも通り(笑)。ただそういうことでズルズル崩れるのはやめようと言っていた。(2番手で登板した)曾田が好投したのが勝因。負けん気は人一倍ある選手。緩急が持ち味。(4回戦の明訓戦へは)何とか接戦になれば。集中を切らさず最後まで戦いたい」

◇豊栄・曾田祐己投手の話◇
「強い相手だったが自分が3年間やってきたことを出すだけだと思っていた。相手はスタンドも人数がたくさんいたが、でも自分たちは負けないと思いやっていた。カーブでカウントが取れたのが良かった。(8回のエラーも)よくあることなので(笑)いつも通りできた。目標はベスト8で、エコスタで試合をすることなので、ここで浮かれず明訓戦もきょうのように強気でしっかり戦いたい」

◎21日の試合予定◎
<鳥屋野・4回戦>
①日本文理(10:00)長岡工
②柏崎(12:30)中越

<五十公野・3回戦>
①新潟県央工(10:00)十日町
②長岡大手(12:30)柏崎工

(取材・撮影・文/岡田浩人)