【ルートインBCL】新潟で7年 青木智史選手が今季限りの引退を表明

ルートインBCリーグの新潟アルビレックスBCは12日、青木智史選手が今季限りでの引退すると発表した。神奈川県小田原市出身の青木選手は高校卒業後、広島カープやシアトルマリナーズ1Aなどでのプレーを経て、球団創設2年目の08年に入団。1年目に12本塁打を放って本塁打王に輝くなど4番打者としてチーム初の地区優勝に大きく貢献した。入団2年目の09年から昨季までの5年間はプレーイングコーチを務めた。今季は選手として登録され、8月12日現在で34試合に出場し打率.276、本塁打1本。滞空時間の長いホームランが特徴で、豪快なバッティングで多くのファンを魅了してきた。

青木選手はチームを通してコメントを発表。「常に向上心を持ち野球道にまい進してきたが、向上心をも勝る限界を感じ、今が退き時と決意しましたた」と引退を決断するに至った心情を説明。「少しでも感謝の気持ちをお伝えできるよう、残りのシーズンも全力を尽くし、最後までファイティングポーズを取り続けたい思っています」と残り試合の全力プレーを誓っている。

(撮影・文/岡田浩人)


【高校野球】日本文理が初戦突破 5-2で大分破る 2回戦は愛知・東邦と

甲子園球場でおこなわれている第96回全国高校野球選手権大会で12日、新潟代表の日本文理が5-2で大分代表の大分をくだし、初戦を突破した。日本文理が夏の甲子園で勝利を挙げるのは準優勝した2009年以来で5年ぶり。初戦の後に組み合わせ抽選がおこなわれ、日本文理の2回戦の相手は愛知・東邦と決まった。大会8日目(8月18日予定)の第2試合におこなわれる。

◎12日の1回戦の結果◎
日本文理5-2大分
大分 100 010 000 =2
文理 000 200 30× =5
(バッテリー)
大分:①佐野-今川
文理:①飯塚-鎌倉
(本塁打)
文理:新井(4回2点)、星(7回2点)

◎戦評◎
日本文理が終盤に集中打で勝ち越し。大分の好投手・佐野を打ち崩した。

日本文理の先発投手・飯塚は立ち上がりに制球が定まらず、初回先頭の井上に三塁打を打たれた後、2番河室に適時打を浴び大分に1点を先制された。ただその後、捕手の鎌倉が二盗を刺すなど、失点は最少に食い止めた。

3回まで毎回安打で走者を出すも無得点だった日本文理は4回、走者を2塁に置いて7番新井が左翼ポール際に2点本塁打を放って逆転した。

日本文理の飯塚は直後の5回に四球で走者を出すと、1番井上にこの日2本目となる三塁打で同点に追いつかれた。

2-2で迎えた7回、日本文理は8番鎌倉が右中間二塁打でチャンスを作ると、9番飯塚が中前に運び1点を勝ち越し。さらに続く1番の星が142キロの直球を右翼スタンドに運び、さらに2点を追加した。

日本文理の投手飯塚は9回を投げ、被安打8。5回までに6四球と制球に苦しんだが、中盤以降は要所を締め、145球の粘投で完投。去年夏、今年春に続く甲子園3度目の登板でようやく勝利をつかんだ。打線は大分の好投手佐野から13安打を放った。ただ残塁が9と次戦に課題を残した。

◇日本文理・大井道夫監督の話◇
「去年夏、春の選抜と勝てず・・・選手たちがよくやってくれた。うちは終盤に自信を持っているので何とか踏ん張れと(投手の)飯塚に言っていた。7回によく突き放してくれた。(5番への代走は)片岡がタイミング合っていなかったので、代走を出して投手を揺さぶろうと考えた。(走者が出て送りバントの考えは)ないですね。ウチは打つだけのチームだから。打撃では選手たちが甘い球を狙っていた。それを確実に打っていた。(フライアウトが少なかったが)選手は叩く意識を持っていた。相手投手も高校球界を代表する投手なので、そうは打てないと思っていたがよく打った。ただ残塁が多かった。13安打で5点じゃ。監督の責任だな・・・。飯塚は本来の調子ではなかったが、よく粘って放った。(2回戦の相手が東邦で)いいチーム。ここまで来たら何とか胸を借りて頑張りたい。飯塚が5回まで3失点くらいまで抑えてくれれば、打撃で5点取ることを目指したい」

◇日本文理・池田貴将主将の話◇
「(ようやく校歌を歌えて)嬉しかった。スタンドと一体となって校歌を歌えて、初めての感動を味わえた。(序盤先制を許したが)新潟大会の準決勝、決勝でリードをされた試合をひっくり返したので焦りはなかったし、リードをしても神宮大会決勝(8点差を逆転負け)と春の選抜での豊川戦(2度のリードも追いつかれサヨナラ負け)で最後まで力を抜いてはいけないということを学んだので、きょうは最後の最後まで攻め切れた。新潟大会では140キロを超える投手と対戦していなかったので、きょう勝てたことは次につながる。5月の福岡県での招待試合で対戦した投手が150キロのボールを投げていて、初めて体感した速度だったが、そこで経験できた分、きょうしっかり活かせたと思う。(佐野投手は)低めの変化球がいいところに決まっていたので、途中からまっすぐに絞っていこうと言った。13安打だったが5点どまりでまだ課題がある。ただ安打を重ねられたことは自信になる。去年夏と今年春に甲子園を2回経験できたことが大きくて、落ち着いた入りができたと思う。2009年の準優勝の先輩たちは凄く打つチームだった。自分たちも負けじとそれに続きたい。(次戦は愛知・東邦で)準優勝の先輩も愛知県に負けているし、自分たちも選抜で愛知県(豊川)に負けている。色々教えてくださった先輩たちに恩返しするため絶対に勝ちたい」

◇日本文理・飯塚悟史投手の話◇
「立ち上がりでストライクをしっかり取れずに、ストライクを取りにいったボールを打ち込まれてしまった。(外の制球に苦しんでいたが)ボール1個分ずれてしまっていた。そこを修正できるように、ストライクを取るボールが甘かったので、そこをちゃんと投げきれるように次に向けて修正したい。中盤からは変化球を多めに、インコースのストレートを増やして投げた。(9回3つのアウトを三振で抑えたが)1人走者を出してしまったが、とにかく0で抑えることを考えた。次の試合では初回からしっかり0で抑えたい。3点以内に抑えれば、みんながしっかり取ってくれると思うので、1点を取られても焦らず自分の投球をしたい」

◇日本文理・捕手の鎌倉航選手の話◇
「(春の選抜、9回裏の三塁悪送球で同点になった)あの試合からキャッチボールを一からやって来た。苦しい場面でいかに投げ切るかを意識してやってきた。そういう意味では(盗塁阻止や牽制アウト、バックアップからの送球で走者を刺し)しっかり投げ切ることができた。去年夏、今年春と経験したことで、冷静に試合の流れを見ることができた。1つ自分が成長できたと思う。何より今日は飯塚が踏ん張って投げてくれたのが大きい」

◇日本文理・4回に逆転2点本塁打を放った新井充選手の話◇
「打ったのはストレート。1打席目にチャンスで三振して悔しい結果だった。(本塁打の打席は)初球から振っていこうと思った。全員でライナーの強い打球を打っていこうと話し合っていたので、その延長線上で入ってくれたと思う。この後も一戦必勝、コツコツとつなぐ野球でやっていきたい」

◇日本文理・7回に2点本塁打を放った星兼太選手の話◇
「ずっと最初から飯塚さんが粘りの投球を続けて、チームのために頑張ってくれていたし、(7回には)鎌倉さんが飯塚さんのヒットで気持ちの入ったヘッドスライディングで生還したので、自分も飯塚さんに1点でも多くプレゼントしたい気持ちだった。前の打席でもヒット打っていたので自信を持って打席に入った。次の試合も先頭で初球から思い切り振っていって、チームにいい流れを呼び込みたい」

(取材・文/岡田浩人)


【高校野球】日本文理 ベンチ入りメンバー紹介④

【日本文理 ベンチ入りメンバー紹介④】

⑮江崎竜馬(3年・内野手) 兵庫・甲陵中 160センチ65キロ 右投右打

50メートルを6秒3で駆け抜ける俊足の持ち主。兵庫県の中学校から「甲子園に行きたくて」新潟にやって来た。父親が大の坂本龍馬ファンでその名を付けられた。「必ず名前を憶えられます」と笑う。足と守備が持ち味。新チームでは「Bチームでずっとキャプテンをやってきた。そこで自分のプレーだけではなく、全体のことを見るようになった。その経験が今にいきている」と語る。地元でもある甲子園で成長した自分の姿を見せたいと意気込んでいる。「出番があるときは守備固めや走塁でチャンスを拡げたい時。ここ一番の場面で流れを変えるプレーができれば」とその時に備えている。

⑯竹石稜(3年・外野手) 三条大崎中 174センチ66キロ 右投右打

50メートル6秒3の俊足と外野の守備範囲の広さが持ち味。三条シニア時代からセンスある打撃が評判で、日本文理入学後も1年秋からレギュラーで活躍してきた。不動のセンターだったが、6月の北信越大会で一塁ベースに帰塁する時に右肩のじん帯を傷めてしまう。一時は野球生命を危ぶまれたが、「夏の新潟大会後に医師のOKが出た」と笑顔を見せる。「新潟大会で仲間のおかげで優勝できて、本当にありがとうという気持ち。一時は野球をできないと言われたがあきらめなくて良かった」と話す。去年夏、今春の選抜に続き3度目の甲子園。「背番号16でベンチに入れてもらえてありがたい。足や守備で貢献したいし、試合に出ることができなくても、センターを守る小太刀に自分の外野守備経験を伝えたい。コーチャーでもチームに貢献したい」と最後の夏に全てをぶつけようとしている。

⑰山口尚輝(2年・外野手) 白根北中 171センチ64キロ 左投左打

白根北中時代から快速左腕ピッチャーとして有名で、中学2年秋の県新人戦で優勝。「文理で甲子園に行きたかった」と迷わず進学した。小柄だが野球センスに溢れ、入学後は打撃センスを買われ外野手に転向。昨秋の神宮大会決勝で公式戦デビューを果たした。「文理で打撃が成長した」と話す通り、その巧打と俊足をいかしダイヤモンドを駆け巡る。ただ本人は「投手として活躍したい」とこだわりも。「甲子園に行けて嬉しい。まず1勝して、一日でも長く甲子園にいたい」と活躍を誓う。

⑱荒木陵太(1年・外野手) 水原中 173センチ76キロ 右投左打

ベンチ入りした唯一の1年生。中学時代は新津五泉村松シニアの3番打者・投手として全国ベスト8に貢献した。「新潟で活躍したい」と日本文理入り。春の県大会からベンチ入りし、持ち前の思い切りのいい打撃を披露してきた。野球好きの父親の影響で、「生後3か月でベンチに入り、4歳から野球を始めた」という野球の申し子。今春の選抜大会は「スタンドから見ていて、夏はこのグラウンドに立ちたいと考えていた」と話す通り、今夏の甲子園デビューを待っている。「試合に出る準備をしながら、試合に出ている人が100%の力が出せるようベンチでサポートしたい。試合に出る時にはフルスイング、全力疾走を心掛けたい」と意気込んでいる。

◎平石風歌(3年・記録員) 西川中

中学時代はバレーボール選手として北信越大会ベスト8の実績を持つ。日本文理に入学後、帰宅の迎えを待つ間に野球部のグラウンドで練習を見たことがマネージャーになったきっかけ。「打撃練習をする選手の姿に見入ってしまった。『全国制覇』の横断幕と選手の姿が重なった。選手たちを支えたいという気持ちが芽生えた」という。ところが野球についてはルールすら分からなかった。「ファールも知らなかったし、『ロジン取って』と言われてもロジンって何?というレベルだった」と笑う。その後必死に勉強して、選手の信頼を勝ち取った。新潟大会決勝では9回裏に「正直1アウトになった時に終わりがよぎった。あきらめた訳ではなかったけど・・・。小太刀のホームランが入った瞬間、頭が真っ白になった。信じて良かった」と涙が溢れた。甲子園では「準備」で選手の足を引っ張らないようにと考えている。「プレーで貢献できない分、マネージャーとしての仕事でしっかり選手を支えたい」と共に戦う決意だ。

(取材・文/岡田浩人 撮影/嶋田健一 岡田浩人 文中敬称略)


【高校野球】日本文理 ベンチ入りメンバー紹介③

【日本文理 ベンチ入りメンバー紹介③】

⑩高橋竜大(3年・投手) 東京・四谷中 183センチ80キロ 右投右打

右のサイドスロー。「球速はないが、カーブ、ツーシーム、フォーク、チェンジアップの変化球を低めに集めて球数を少なく打たせて取ることが持ち味」と語る。東京出身。「不安だったが、甲子園を目指し新潟にやって来た。冬は寒くてびっくりした」と笑う。しかし人懐っこい性格ですぐに仲間と打ち解けた。本格的に投手を始めたのは日本文理に来てから。低め変化球と制球に目を付けた大井監督が抜擢した。控え投手だが、ベンチでは試合に出場している選手たちのサポート役を買って出る。「飯塚がベンチに帰って来たときにいかにサポートできるか」と裏方としても汗をかく。「新潟に来て最高の仲間たちと出会えた。この仲間たちと甲子園で勝ちたい」と目を輝かせる。

⑪藤田優平(3年・投手) 内野中 173センチ60キロ 左投左打

サウスポーで躍動感あふれる投球が身上。昨秋の神宮大会準決勝で公式戦デビューを飾り、今治西相手に完投勝利。切れのある変化球を低めに集める。福島県郡山市出身で、東日本大震災を受け、家族で新潟市西区に避難してきた。「強豪である日本文理で挑戦したかった」と進学を決め、家族が福島へ戻った1年夏からは寮生活を始めた。「家族で暮らしていた時は洗濯や食器洗いは親がやってくれていた。寮に入って自分でやるようになって親のありがたさを感じた。精神的にも自立ができた」と話す。「家族への感謝の気持ちを込めた投球を甲子園で披露したい」と意気込む。

⑫豊田廉(3年・捕手) 東京・鶴川第二中 171センチ72キロ 右投右打

控え捕手。中学時代にKボールの東京選抜チームとして新潟に遠征に来たことがきっかけで日本文理への進学を決意。「不安があったがこの仲間に出会えてよかった」と振り返る。去年夏の新潟大会から試合前のブルペンで飯塚の球を受けてきた。夏、秋、春、そしてこの夏と飯塚の成長を自らのミットで感じてきた。今では「キャッチボールから球のキレ、腕の振りを見て、その日の調子が判断できる」と言う。他の控え投手にも「自分が登板する場合の役割を考えさせるようにしている」と話す。甲子園では「鎌倉の控えとして試合に出ることも頭に入れつつ、ブルペンやベンチで選手をサポートする役割を果たしたい。ベンチから試合の流れを作りたい」と仲間を支える覚悟で臨む。

⑬川口達朗(3年・内野手) 水原中 180センチ78キロ 右投左打

左のスラッガー。阿賀野市出身で小学生時代は地元の寺社ビッグファイターズで野球を始めた。5歳先輩に09年の甲子園準優勝メンバーで甲子園で2本塁打を放ったスラッガー高橋義人さんがいた。「義人さんがカッコ良くて、尊敬していました。新発田シニアに入ったのも、日本文理に入ったのも、ずっと義人さんの背中を追いかけてきたから」と目を輝かせる。入学後は主に代打としての起用が多く、「誰よりも代打の経験は多い。1球にかける思い、1打席にかける思いは誰よりも強い」とアピールする。そのため1球で仕留める打撃練習も重ねている。今夏の新潟大会で甲子園出場を決めると憧れの先輩から連絡が入った。「おめでとうと言われて本当に嬉しかった」。09年の甲子園決勝はアルプススタンドから憧れの先輩を応援していた。今度は自分が甲子園のグラウンドで活躍する姿を先輩に見てもらいたいと思っている。

⑭榑井駿(3年・内野手) 山王中 170センチ75キロ 右投左打

内野守備のスペシャリスト。新潟西シニアで遊撃手としてならし、高校の進路で迷っていた時に日本文理OBから勧められた。去年秋の県大会からメンバー入りしたが、神宮大会、春の選抜はメンバーから外れた。「なかなか結果が出ずに悩んでいた。文理では打たないと『生きていけない』と思ったので」と冬場は徹底的にバットを振り込んだ。その結果、選抜後の県大会でベンチ入りメンバーに復帰。初戦で二塁手として先発出場すると結果を残した。夏の新潟大会では1打席の出場に留まったが、「いつでも出場できるよう準備している。出番が来たら全力プレーで頑張りたい」と全国の舞台でのデビューを待っている。

(取材・文/岡田浩人 撮影/岡田浩人 嶋田健一 文中敬称略)


【高校野球】日本文理 ベンチ入りメンバー紹介②

【日本文理 ベンチ入りメンバー紹介②】

⑥黒臺騎士(3年・遊撃手) 兵庫・報徳学園中 170センチ60キロ 右投右打

田中将大投手などを輩出した兵庫県の硬式野球チーム「宝塚ボーイズ」出身。「関西からやって来て、地元の甲子園に戻れるのが嬉しい」と喜ぶ。「野球と勉強を両立させたい」と日本文理への進学を選択した。「くろだいないと」という珍しい名前はすぐに監督やチームメイトに憶えてもらった。遊撃の守備と強肩を買われ、1年からベンチ入り。ただ打撃には課題があった。「春の選抜では6打数0安打で結果を残せなかった。春以降、一球の大切さを心掛けるようにした」結果、つなぐ2番打者として新潟大会は「自分でもびっくり」という打率.526と高打率を残した。決勝では9回裏に四球を選び小太刀のサヨナラホームランを呼び込んだ。「自分は大きな当たりを打てる選手ではない。単打単打、つなぐ意識で相手を嫌がらせることできれば」と常に考えている。甲子園では「2番打者として3番、4番にいい形でつなげられるよう。守備では飯塚を助けたい」と心に決めている。つなぐ野球を掲げる日本文理の「いやらしい」二番打者として、地元・甲子園でその存在感を発揮する。

⑦小林将也(3年・外野手) 紫雲寺中 180センチ80キロ 右投右打

新潟大会の決勝で2本の二塁打を放った長打力が持ち味。中学時代は新発田シニアで4番打者。「文理は打撃のチーム。自分の力がどれだけ通用するか確かめたかった」と進学を決めた。1年秋には4番打者に起用されるも「あの時は何も考えずに振っていた」と話す通り、直球をとらえることはできるが、変化球を打つのが苦手だった。その後、打順も下がった。「学年が上がるにつれていろいろと考えすぎるようになった」と振り返る。今春の選抜大会以降はレギュラーからも外された。その時に励ましてくれたのが仲間だった。「お前が出ないとダメだろと言われて・・・信頼されているんだと嬉しかった」。そこから自主練習で仲間にアドバイスを求めた。「自分のバッティングにアドバイスをもらった。3年生全員に支えられて夏に持ち直すことができた」と仲間への感謝を忘れない。この夏は「何も考えずに来た球をしっかりととらえることができた」結果、「新潟大会の決勝で打った2本の二塁打はどちらも変化球で体が自然に反応した。そういう点では成長できたと思う」と充実の表情を見せる。「甲子園に出てくる投手は失投が少ない。その少ない失投をいかにとらえることができるか。小さくならずにどんな球にもフルスイングできるようにしたい」と聖地で自慢の長打を披露するつもりだ。

⑧小太刀緒飛(3年・投手・外野手) 栃木・作新学院中 179センチ72キロ 左投左打

俊足巧打の3番打者。新潟大会決勝で逆転サヨナラホームランを放ち、一躍時の人に。取材が殺到するも「目標に向かってやっていることを忘れず、自分が話している内容をプラスにとらえたい」と話す。栃木県出身。栃木ヤングベースボールクラブで投手を務めた。作新学院中では学業成績が優秀で、「部活も学業も両立できる県外の高校の進学を考えた」と話す。日本文理の練習を見学し、その雰囲気を感じ進学を決めた。名前は「おとわ」と読む。「自分を支えてくれる仲間と一緒に力を合わせながら、広い世界に飛び立ってほしい」という両親の願いが込められている。2年春には背番号1を背負い、投手の中心として活躍も、新チームではその足と巧打を買われ、野手としての出場が多くなった。昨秋の神宮大会決勝では一塁手として捕球ミス。その後の逆転負けのきっかけを作ってしまった。「自分のせいで負けた。野球をやっていて経験したことがないほどのショックを受けた」と初めての挫折を味わった。しかし「それまでは失敗しちゃいけない、失敗したくないという気持ちが強かったが、失敗しなきゃ人は成長しないということが高校野球で味わって分かった。あの神宮の失敗があって、あれをどう生かすかを考えて冬を過ごした」と言う。私生活から自分を厳しく律した。誰よりも一球に対する集中力を磨いた。その結果が新潟大会決勝での逆転サヨナラホームランにつながったように見える。「新潟大会はもう終わったこと。自分たちが掲げていること(全国優勝)は普通のことではない。だから普通のことをしていては勝てない」と甲子園での戦いに向け気を引き締める。

⑨星兼太(2年・外野手) 見附中 177センチ73キロ 左投左打

パンチ力のあるトップバッターとして、日本文理の攻撃の切り込み隊長役を務める。中学時代はシニアの日本代表として活躍し、世界大会でベストナインにも選ばれた逸材。1年入学直後の練習試合で3打席連続ホームランを叩き込み、首脳陣や部員たちの度肝を抜いた。以来、ずっとベンチ入りし、2年生ながら今回が3度目の甲子園となる。「燃えてきている」と静かな口調で闘志を燃やす。新潟大会では準々決勝以降当たりが止まった。「3年生が打ってつないでくれて優勝することができた。先輩たちに助けてもらった」と感謝する。春の選抜甲子園では先制二塁打を放つも、「1番打者としての仕事ができなかった」と振り返る。迎えるこの夏の甲子園では「自分が先頭で打てばチームは勢いに乗る。自分が出塁してチームに勢いを付けたい」と意気込む。「一番として初回から打って成長したというところを見てもらいたい」。思い切りのいい星本来の打撃が甲子園で爆発するのを見たい。

(取材・文/岡田浩人 撮影/嶋田健一 文中敬称略)