【高校野球】村上桜ヶ丘 松田忍監督、椎野新投手の試合後コメント

<村上桜ヶ丘・松田忍監督の話>

「よく辛抱できた。試合は勝たせてもらったけど、相変わらず野球のやり方が下手だなと思う。勝ちながらも反省しなければいけないところばかり。7回の走塁、あの回はなんとしても点数を取りたいところだったのに、あそこで自分たちで走塁をミスして点数が取れないというのは痛かった。(勝因は?)先取点を取れたのは大きい。2アウトから同じ回で2点目が取れたのもよかった。先頭バッターを塁に出さなかったことが接戦をものにできた。(椎野投手への指示は?)あまり力むなと、早い球を投げたがるが、今日は丁寧に変化球を使ったピッチングができていた。次の試合に向けて・・・ここまできたら力的には五分五分の勝負になる、気持ちでぶつかっていって勝っていきたい。(修正点は)主軸で自分のスイングができていない子がいる、明日1日練習できるので、選手の力はあるはずだから自分の打球が飛ばせるように調整したい」

<村上桜ヶ丘・椎野新投手の話>

「明訓打線はよくくらいついてきたので苦しかった。絶対打たせない気持ちで投げた。
自分でも驚くくらいよく投げることができた。(次の試合に向けて)甲子園という場所が目の前にあるが、あと2戦、しっかり一戦必勝でやっていきたい。(修正点は?)追い込んでから低めの変化球が浮く場面があったので、それをなくして、低め低めでいきたい」


【高校野球】準々決勝第2試合 新潟工×新発田

◆先発オーダー◆
<先攻・新潟工>
①白井康太 遊
②柄沢拓巳 左
③佐藤和哉 三
④小口直弥 中
⑤笹川大範 右
⑥増子遼 投
⑦江口正義 捕
⑧稲月友輔 二
⑨寺島拓朗 一

<後攻・新発田>
①瀧口瑛大 二
②上松一也 遊
③山田健登 投
④清水一平 一
⑤佐久間健太郎 中
⑥五十嵐巧 左
⑦小山拓哉 三
⑧岡田昂也 捕
⑨須貝将士 中


【高校野球】準々決勝第1試合 村上桜ヶ丘×新潟明訓

◆先発オーダー◆
<先攻・村上桜ヶ丘>
①須戸吉隆 三
②倉島拓也 右
③長谷川智哉 一
④野澤和希 中
⑤河内涼 捕
⑥波多野将三 左
⑦松内亮太 遊
⑧椎野新 投
⑨秋山蓮矢 二

<後攻・新潟明訓>
①竹内薫平 遊
②本間辰吉 中
③小池那弥 二
④高田大輝 右
⑤本多凜太郎 三
⑥岩淵弘憲 一
⑦村山賢人 投
⑧駒澤辰也 捕
⑨海沼大聖 左

 


父子で甲子園の夢叶わずも「次は指導者で父子勝負」・・・五泉・後藤拓朗主将

勝負の世界には、時に残酷な結末が待っている。

父親が監督。息子が主将。「父子鷹」として注目を集めた五泉。
19日の4回戦で新潟工を相手に3対1とリードして9回を迎えていた。
しかし1死からミスをきっかけに同点に追い付かれる。

迎えた延長12回表、2死2、3塁のピンチ。
ショートとセンターの間の難しい場所にボールが飛んだ。
「拓朗なら捕れる」・・・父の後藤桂太監督は確信した。センターの息子・後藤拓朗は俊足を飛ばして落下地点へと入る。
「捕った」・・・そう思った瞬間、白球が拓朗のグローブからこぼれ落ちた。
痛恨の落球。1点を勝ち越され、その1点が決勝点となった。
延長12回、3対4で敗戦。甲子園初出場を目指した五泉の夏は終わった。

父・後藤桂太監督(左)と息子・後藤拓朗主将(左から3人目)

父・後藤桂太監督は1984年春の選抜大会に新津高校の捕手として甲子園に出場した。「甲子園に行けば人生が変わる」・・・長男の拓朗は子どもの頃から父にそう聞かされてきた。
拓朗は五泉北中学時代に本格的に野球を始めた。「足は速かったがそんなにうまい選手ではなかった」(父・後藤桂太監督)が、中学3年では準硬式のKボール新潟県選抜に選ばれた。私立高校からの勧誘もあったが、父のもとで甲子園を目指す決意をした。
それ以来、父と子の関係は「監督と選手」に変わった。自宅でも拓朗は父親を「監督」と呼び、普段の生活から敬語を使って話すようになった。
父の息子への指導は厳しかった。「物凄く叱られました」と拓朗は振り返る。監督も「いつもどやしつけていた。耐えて頑張れ、と思っていた」という。

父の期待に息子は応えた。新チームで主将になり、不動の1番打者としてチームをけん引した。去年秋の新潟県大会でベスト4に進出。北信越大会で強豪の敦賀気比(福井)に善戦し、春の選抜甲子園の21世紀枠の最終候補に残った。
「冬は21世紀枠の候補に選ばれて、甲子園ではどういう戦い方をしようかと監督と毎日そういう話ばかりしていました」(拓朗)
20121012五泉
去年10月、新潟県大会3位で北信越大会に出場

しかし、1月の選抜大会の選考委員会の結果、五泉は21世紀枠の選考から漏れた。甲子園出場の夢は叶わず、後藤桂太監督は記者会見で涙を見せた。そして、選手たちにこう言った。「お前たち、悔しいよな。神様はお前たちに『もっと力をつけてから甲子園に行け』と言っているんだ」。
主将の拓朗は父である監督の涙を見て「燃えました。夏は監督を甲子園に連れて行こうとみんなで誓いました」という。

1月25日、21世紀枠で選考漏れし涙を見せる後藤桂太監督

迎えた夏。初戦をコールド勝ち。2戦目も苦しみながら勝利で飾り、シード校・新潟工との対戦となった。
「練習試合でも勝ったことがなかった」(後藤桂太監督)という新潟工相手に、序盤に2点を先制。5回には拓朗の中越え二塁打をきっかけに1点を追加。五泉ペースで試合は進んでいた。

19日の新潟工戦。5回に後藤拓朗主将が3点目のホームを踏む

しかし、7回に1点を返され、9回には同点に追い付かれた。延長12回、新潟工のエースで7番打者の増子のセンター前への当たりを拓朗がよく追いついたものの落球。新潟工に逆転を許した。
拓朗は振り返る。
「新潟工のエース増子とは中学時代にも県大会で対戦しました。その時にセンター前に来た当たりを僕が捕れずにサヨナラ負けを喫してしまった。あの時もっと前に出ていれば…とずっと思っていました。今回も増子の打った球が僕のところに飛んできました」
中学時代と違い、拓朗は迷わず前に出た。ボールには追いついた。しかし、ボールはグローブに当たり芝生に落ちた。

「捕れた打球でした。自分の力不足でした」
敗戦後、涙を流すナインの中で、拓朗は決して涙を見せようとはしなかった。
ベンチ裏で報道陣の取材に健気に応じていた。
「自分の甘さが出ました」・・・敗戦の責任を一身に背負っているように見えた。
父親の後藤桂太監督は、無念の表情で言葉を絞り出した。
「まさかこういう負け方で終わるとは・・・。悔しさしかない。もう、悔しいですわ。勝たせてあげたかった」・・・そう言うとうなだれた。

敗戦から一夜明けた五泉高校グラウンド。
朝8時過ぎには3年生17人が集まっていた。
グラウンドの草むしりをし、下級生である1、2年生の練習を手伝っていた。

後藤桂太監督はさばさばした表情で前日の試合を振り返った。
「きのうの試合は良いところも悪いところも出るものが全部出た。練習通りのことが本番で出る、練習でやっていることしか本番で出せない。このことをこの先の人生に生かして欲しい」

敗戦から一夜明けた20日、五泉高校グラウンド

そして父と子の関係ではなく、監督と選手、監督と主将として拓朗と過ごした2年4か月をこう語った。
「無茶苦茶幸せな時間だった。息子が上達していく姿を一番近くで見ることができて・・・アイツが打って、どうだ!という表情でこっちを見る。たくましくなったなと思っていた。今は親と子が仲良く・・・という時代だけど、こういう関係の父子でも幸せだった」

拓朗は大学への進学を希望している。父と同じ教師の道を目指し、高校野球の指導者になることが目標だという。

試合に負けた夜、帰宅した父に呼ばれた。部屋で2人きりで話をした。
「『きょうの試合はお前で負けた』と言われました。その後、『甲子園にお前と一緒に行くという俺の夢は終わった。だけど、この先の俺の夢は、監督となったお前と戦うことだ。それを目標にやっていこう』と言われて・・・。監督と握手をして、そこで初めて涙があふれました」

五泉高校野球部3年生の部員たち(真ん中が後藤拓朗主将)

後藤桂太監督は「これから息子とどう付き合っていけばいいのか」と照れながら笑った。父子鷹の物語は第2章へと向かう。

拓朗は「まだ教えてもらうことがたくさんあるので、卒業するまでは『監督』と呼ばさせていただきます。甲子園には連れて行けなかったけれど、違う形で恩返ししたい。将来、高校野球の監督になって、絶対に『監督』に勝ってみせます」
そう言って笑う拓朗の目は、父にそっくりだった。

(取材・撮影・文/岡田浩人)


けが乗り越えリベンジ果たす…新発田・山田健登投手

最後のバッターを渾身のストレートで三振に切ってとると、高くその左腕を突き上げた。
「気持ちで投げました。県央工には絶対に勝ちたかったので嬉しかった」

3度目の正直、3度目で掴んだ勝利だった。

1年前の夏の新潟大会。シード校を破った新発田は3回戦で県央工と対戦した。2回までに10点を奪い、10-1とリードした。誰もが新発田の勝利を疑わなかった。

しかし、そこから県央工の粘りにあった。当時2年生だった山田は2番手で登板したが、県央工の勢いを止められなかった。追い上げられて降板。試合は9点差を追いつかれ、延長10回の末サヨナラ負け。悪夢のような敗戦だった。

1年前のスコア 新発田は9点差を逆転された

迎えた昨秋の大会も、準々決勝で県央工と対戦した。新チームでエースとなった山田は完投したものの0-1で敗れた。

夏でのリベンジを期していた山田にさらなる試練が襲い掛かる。昨年12月に左肩に痛みを覚え、ボールを握ることができなくなってしまった。

「けがをしてしまって苦しい冬でした」・・・山田は振り返る。

痛みは春まで消えなかった。その間、試合で投げることはできず、地道な練習を積み重ねた。「体幹や階段ダッシュで下半身を鍛えました。ウェートトレーニングで筋肉をつけ、食事を多くとるようにしました。そのおかげで体重が6キロ増えました」・・・体が一回り大きく、たくましくなった。何より「精神的に成長している」と石川浩監督は目を細める。

5月中旬ころから試合に出始めたが、投げ込み不足から制球がままならなかった。しかし、夏への気持ちは切れなかった。1回戦、2回戦と徐々に調子を上げてきた。

迎えた19日の県央工戦では、初回に制球が定まらずに連続四球でピンチを招いたが、そこから圧巻の3者連続三振で無失点に抑えた。これで「いい流れになった」

球の出所が見えにくいフォームで、左腕から伸びのある直球とキレのある変化球を投げ込む。9回を完封。被安打は僅かに2で、奪った三振は14を数えた。昨夏、昨秋と2度にわたって敗れた相手に対して、リベンジを果たした。

19日のスコア 山田は県央工を完封した

「チームで一丸となって、県央工を倒そうと練習してきました。勝てて嬉しい。四死球が多かった(7つ)のが次戦への課題」と話し、反省も忘れなかった。
これで3試合27イニングを投げ無失点。奪三振は44という数を数えた。
石川監督も「彼が投げるとチームがいいリズムに乗れる。山田がしっかり投げるのがウチのパターン」と信頼を寄せる。

「次からはもっと強いチームと当たる。点を取られても最少失点で粘り強く投げたい」
1つの目標であったリベンジは果たせた。ただチームの目標はあくまで「頂点」。甲子園まではあと3つだ。
「どこよりも長い夏にしたい」・・・試練を乗り越えた山田の決意がチームを引っ張っている。

(取材・撮影・文/岡田浩人)