【小中・高校野球】稲葉篤紀氏が講演&新潟メソッド発表 野球サミット初開催

新潟県高野連や中体連軟式野球専門部など9団体で構成される「新潟県青少年野球団体協議会」は30日、新潟市の朱鷺メッセで小・中学・高校の指導者を対象とした「NIIGATA野球サミット」を初めて開催した。元日本ハム外野手の稲葉篤紀さん(43)による講演のほか、保護者や指導者、選手に向けて製作されたマナー・技術冊子「新潟メソッド」を発表した。

講演をおこなう元日本ハム外野手の稲葉篤紀さん

この野球サミットは野球ひじの予防などに取り組んできた県青少年野球団体協議会が、野球を通じた友情や学びを育むための新たな取り組みをスタートさせるとともに、指導者や保護者向けに野球の楽しさを子どもたちに伝えるきっかけにしてもらいたいと初めて開催。県内の指導者や保護者約500人が参加した。

第1部では元北海道日本ハム外野手の稲葉篤紀さんが「求められる指導方法」と題して講演をおこなった。稲葉さんは愛知県の出身で、中京高(現・中京大中京高)、法政大を経て、1995年にドラフト3位でヤクルトに入団。3度のリーグ優勝と日本一に貢献した。2005年に日本ハムにFA移籍し、2006年の日本一に貢献し、日本シリーズMVPを獲得した。2007年には首位打者と最多安打、2012年には2000本安打を達成した。2014年に引退した後は、スポーツキャスターや侍ジャパンのコーチとしても活躍している。現在は日本ハムでスポーツを通じて地域を活性化させる「スポーツ・コミュニティ・オフィサー」を務めている。身振りを交えて講演をおこなう稲葉さん

小学1年生で野球を始めた稲葉さんは、中学では硬式のシニアリーグに所属、高校は名門の中京高で主将を務めた。ただ小中高校と「全国大会には出場できず、決して目立った活躍をしたわけではない」と話す。「中学の時は厳しい練習に耐えかねてケガをしたふりをして練習を休んだこともある。決して優等生ではなかった」と打ち明けた。

ただプロ入り後はヤクルトでの野村克也監督との出会いが野球観に大きな影響を与えた。「野村監督からは『野球選手である前に一社会人であれ』と言われた。野球バカではダメだと…自分自身、若い頃は『四六時中、野球のことだけを考えていればいいじゃないか』と思っていたが、今はその言葉の意味がよくわかる。ミーティングでは気づいたことは必ずノートにメモした」と話した。その上で「特に自分自身が大事にしてきたことは『準備』。ウォーミングアップはケガをしないための準備だし、試合前には相手投手を攻略するためにどういうふうに『準備』したらいいか考えていた」と力説した。

日本の人口減少の3倍のスピードで野球の競技人口が減っていることについて触れ、「野球は楽しいと思えるような環境作りや、1人でも多くの子どもが野球をやりたくなる仕組みを大人が作っていく必要がある」と呼びかけた。

協議会のイメージキャラクター『米(マイ)スター』の名付け親・上野飛鳥くん(右)と

サミットの第2部では公募された同協議会のイメージキャラクターの名前が発表され、上越市の板倉スポーツ少年団野球クラブ6年の上野飛鳥くんが考案した『米(マイ)スター』に決まった。1人1人の子どもがスター(輝く星)であり、ドイツ語の熟練工『マイスター』という言葉の響きもかけていて、「お米も1粒1粒が光り輝き、周りと協調しながらしっかり立っている。そんな野球人になってほしいという願いを込めた」と説明された。考案者の上野くんには稲葉さんからサイン入りバットなどの記念品が贈られた。

『新潟メソッド』について発表、説明する同協議会・島田修副会長(右端)

この後、同協議会の島田修副会長によって、冊子『新潟メソッド』の発表と内容説明がおこなわれた。メソッドとは「方法・方式」を意味する。島田副会長は「少子化や野球離れをはじめとする変わりゆく野球事情に危機感を持ち、今こそ新潟の目指すべきスタイルは何か、保護者が安心して子供を預けられる環境づくりは何か、それらを団体の垣根を越えて共有したい」とメソッド作成の意図を説明した。

冊子は全66ページで、大きく3つの章から成り立っている。保護者向けの「始めよう!」の章では野球を始める子どもたちに野球を通して礼儀や思いやりなど学んでほしいことが書かれている。指導者・選手向けの「楽しもう!」の章では「グラウンドに敵はいない。いいプレーには相手味方の区別なく拍手を」など、基本的なマナーを記している。3つめの「続けよう!」の章は技術編で、特に投げる動作に特化し、野球ひじの予防や障害予防のためのストレッチやトレーニングのやり方が写真付きで具体的に記されている。

内容については「全9団体が交わした『約束』であり、規則ではない。ただ罰則もないが、絵に描いた餅でもない」(島田副会長)という。島田副会長は「少しずつでいいので、ここに書いたことが新潟のスタンダード(標準)スタイルになるようお願いしたい」と力を込めた。18歳以下の硬式、軟式を合わせた各野球団体が1つの組織を作っているのは全国でも新潟県だけで、こうした教則冊子が作られるのも全国で初めて。

『新潟メソッド』の表紙


中身は新潟の球児や保護者、指導者が心掛けてほしい「約束」が記されている

この『新潟メソッド』は同協議会に加盟している各団体を通して各チームに一定数配布される。チーム以外で関心のある方の問い合わせや購入希望については、新潟県青少年野球団体協議会のメールアドレス( nyboc@grace.ocn.ne.jp )で受け付ける。

サミットの第3部ではケガ防止のための研修会もおこなわれ、野球ひじ治療の権威である新潟リハビリテーション病院の山本智章院長が野球ひじの症例紹介をおこない、ケガ予防のためのストレッチやトレーニングについて講演をおこなった。

新潟リハビリテーション病院の山本智章院長によるケガ防止のための研修会

同協議会ではこのサミットをきっかけに、「野球を通じた友情の育成」や「スポーツ障がいの予防」の推進を目指す新たな取り組みを『21c型穂波(にいがたほなみ)プロジェクト』と名付けた。新潟の田園風景である稲穂の揺れが波のように広がっていく光景のように、この取り組みがじわじわと大きく広がっていくことを目指すという。

サミットに参加した長岡市の学童チーム・あおし野球クラブの指導者・西塚雄平さん(34)は「勉強になった。稲葉さんが話す『準備』は日頃から子どもたちに言っていることで共感できた。(新潟メソッドについては)新潟の野球人口を増やすため、レベルを上げるため、こうした取り組みはいいことだと思う。野球以外のイベントや遊び感覚を含めながら、そこから野球をやってもらうきっかけを作りたい」と感想を話していた。

(取材・撮影・文/岡田浩人)


【高校野球】センバツ北信越枠は敦賀気比、工大福井の福井勢 補欠2位に日本文理

3月20日に甲子園球場で開幕する第88回選抜高校野球大会の出場32校を決める選考委員会が29日、大阪市でおこなわれ、北信越地区は敦賀気比と福井工大福井の福井勢2校が選出された。北信越の補欠1位校には佐久長聖(長野)、補欠2位校に本県の日本文理が選ばれた。

21世紀枠には釜石(岩手)、小豆島(香川)、長田(兵庫)の3校が選出され、北信越推薦の長野(長野)は選出されなかった。

新潟県勢は2014年の第86回大会に日本文理が出場して以降、2年連続でセンバツ出場を逃した。

(文/岡田浩人)


【NPB・イベント】ヤクルト館山投手が燕市で野球教室

東京ヤクルトスワローズの館山昌平投手(34)が24日、燕市を訪れ、市内の体育施設で小学生への野球教室を開いた。わかりやすい言葉で優しく小学生に指導した館山投手は「将来、この中からプロ野球選手が生まれて、僕と対戦してほしい」とエールを送った。

基本動作を優しい言葉で説明する館山昌平投手

燕市とヤクルトスワローズは「つばめ」という名前が縁で5年前から交流を続け、主催試合のヒーロー賞に金属洋食器を提供したり、野球大会「スワローズカップ」を開催してきた。今回は球団を通して依頼したところ、館山投手が快諾した。

館山投手は神奈川県出身で、日大藤沢高、日本大を経て、2002年のドラフトで3位指名を受けヤクルトに入団。2009年には最多勝を獲得している。3度の靭帯再生手術を受けながらも昨季復活し。「カムバック賞」を受賞する活躍を見せ、ヤクルトのリーグ優勝に貢献した。

燕市内の13チーム、約120人が参加した

野球教室には市内の学童野球の13チームから約120人が参加した。体育館の外は大雪で、2日前までハワイで自主トレをおこなってきた館山投手は「人生で初めてこんな大雪を見た」と驚いた様子。「手術の後のリハビリ中だった2年前に燕市に来た時に、みんなが野球に打ち込んでいる姿に励まされて復帰できた。その恩返しがしたくて来た」と話した。館山投手は子どもたちと一緒に体育館を走りウォーミングアップ。その後、ケガ予防のためのストレッチの仕方を教えながら、「ストレッチは練習の1つ」とその大切さを説いた。その後、キャッチボールなど基本的な動作についてプロの視点からアドバイスを送った。

子どもたちと一緒にランニングをする館山投手

「靴ひもは上から下へと通すとひもが緩まない」「プロ野球選手はグローブを自分の手のように大事にしている」「キャッチボールではボールは相手よりも高く投げず、必ず低いボールを投げること」「キャッチボールは体を動かして捕ること」「キャッチボールの時から9分割のストライクゾーンを意識しながら投げるとコントロールがよくなる。プロは81分割で投げている」など、わかりやすい言葉で具体的に指導。周囲にいた指導者も熱心にメモを取っていた。

冷え込む体育館の中で熱い指導がおこなわれた

館山投手は「楽天の安楽(智大)投手は小学生の時に野球教室で指導したことがある選手。そういう選手と去年二軍で対戦した。君たちの中からプロ野球選手が生まれて、将来僕と対戦するかもしれないので、頑張ってほしい」とエールを送った。

小池野球スポーツ少年団の主将で小池小5年生の袖山稜真さん(11)は「館山投手は体が大きく、指で三角を作ってボールを握ることという教えがためになった。将来はプロ野球選手になりたい」と目を輝かせた。館山投手は26日は燕市内の小学校で講演をおこなう予定。

(取材・撮影・文/岡田浩人)


【高校野球】中越・齋藤颯選手を優秀選手表彰 日本学生野球協会

日本学生野球協会の2015年度の優秀選手に選ばれた中越高校3年で前主将の齋藤颯選手(17)への表彰式が22日、長岡市の同校でおこなわれた。各都道府県で1人が選ばれる表彰で、齋藤選手は「3年間努力してよかった。大学では神宮の舞台で活躍し、日本一になることが目標」と決意を新たにしていた。

表彰状付き盾を受け取る齋藤颯選手(中央)

齋藤選手は村上市の出身で、新発田シニアを経て、「県内で一番厳しい練習をする学校に行きたいと思った」と長岡市の中越高校に進学。1年夏からベンチ入りし、2年春から4番打者としてチームをけん引した。2年秋から主将を務め、秋春夏と県を制覇した。夏の新潟大会直前に右足のくるぶしを疲労骨折したが、足を引きずりながらもベンチ入りし、チームの精神的支柱として大きな存在感を示し、12年ぶりの甲子園出場に貢献した。

右足くるぶしを骨折するも、チームの精神的支柱として12年ぶり甲子園出場に貢献

表彰後、齋藤選手は「最後はああいう形(ケガ)だったが、高校野球でやり残したことはない。野球人生はこれからで、ケガをしたことをいかして頑張りたい」と振り返った。3年間で印象に残った出来事として、「1年の春の県大会で新発田中央高校に敗れたこと。長岡まで出てきて、地元の新発田の高校に負けた。悔しい思いでスタートした高校野球だった」と話した。

本田仁哉監督は「入学してから休まず突っ走り、みんなが追いかけた、誰もが認める存在。失敗をした後や負けた後に出すエネルギーが凄い選手だった。齋藤颯なくしてこのチームはなかったし、甲子園出場はなかった」と賛辞を送り、愛弟子の受賞を喜んだ。

卒業後は北東北大学野球連盟の富士大学に進学する。昨秋のドラフト会議で4年生の多和田真三郎投手が西武に1位指名を受けている強豪。齋藤選手は「神宮の舞台に出て活躍することが目標。日本一を目指したい」と話し、後輩には「甲子園で勝つ練習をしてほしい」とエールを送った。
表彰盾を手にする齋藤颯選手 北東北大学野球連盟の強豪・富士大に進学する

(取材・撮影・文/岡田浩人)


【NPB】ラミレス監督「飯塚は今季一軍で見ていただける」・・・6/14凱旋登板の可能性も

プロ野球の横浜DeNAベイスターズで今季から指揮を執るアレックス・ラミレス監督(41)のトークショーが17日、新潟市中央区のユニゾンプラザでおこなわれ、「目標は80勝」と優勝への意気込みを話した。また日本文理高出身の飯塚悟史投手について、「今シーズン、一軍で見ていただけると思う」と話し、6月14日の地元ハードオフ・エコスタジアムでおこなわれる交流戦での凱旋登板の可能性を示唆した。

ファンの前で今季の抱負や新潟での公式戦について語るラミレス監督

トークショーは6月14日に新潟市のハードオフ・エコスタジアムでおこなわれるDeNA対日本ハム戦を盛り上げるため、県や経済団体で作るプロ野球新潟招致委員会が主催した。抽選に当選した約450人のファンが会場を埋めた。

ラミレス監督はベネズエラ出身で、2001年に来日。ヤクルト、巨人、DeNAで活躍。本塁打王を2度獲得し、巨人時代には2年連続でセリーグMVPに選ばれた。2014年にはBC群馬で選手兼任打撃コーチを務め、現役を引退した。昨季限りで退任した中畑清監督の後任として、今季からDeNAの指揮を執る。現役時代は本塁打を打った後の日本語パフォーマンスなどで子どもからお年寄りまで幅広い人気を集めた。

ラミレス監督は「新潟は巨人時代にチーム通算9000号の本塁打を打った記憶があり、いい印象を持っている。一番好きな言葉は『ガンバリマス』」と日本語も交えて挨拶。監督就任にあたっては、「現役を退いたらいつか監督をしたいと思っていた。自分自身、野球を最も学んだのが日本。多くのファンの皆さんに恩返しできればと思っていた」と話し、ファンからどう呼ばれたいかとの質問には、「ラミちゃん監督」と日本語で答え、会場から笑いが起こっていた。

時に日本語でのユーモアも交えながら話すラミレス監督(中央)

今季については「自分の背番号と同じ『80』勝できるだけの力はある。特に捕手の配球についてはよく指導したい。自分自身も現役時代は捕手の配球をノートに書いていた。昨季は前半戦はよく戦っていたが、交流戦後に負けが込み、選手のモチベーションが落ちてしまった。ずっとBクラスのために選手だけでなくファンも負けが込んでくると『今年もダメか』と思い始める。そういうところも直していきたい」と話した。その上で、シーズンスローガンを『WE PLAY TO WIN』とした理由について「一戦一戦しっかり勝っていくこと。そうすることで目標の80勝に届く」と力を込めた。

新潟での対戦相手となる日本ハムについては「大谷翔平選手、中田翔選手をはじめ日本球界を代表する選手がいる。ただ日本ハムではなくDeNAの選手を目当てに見に来てくれるような試合をしたい。4対0くらいで勝てれば」と話した。
会場では上越市出身の飯塚悟史投手の動画メッセージが流された

トークショーでは上越市出身で日本文理高校出身の飯塚悟史投手(19)の動画メッセージが流された。飯塚投手は1年目の昨季を振り返り、「(右ひじの)手術はしたが試合で投げさせてもらうことができ、体づくりや人間関係、プロの世界の厳しさを知ることができた。一日も早く一軍のマウンドに上がって、応援してもらえるように頑張りたい」と話し、ラミレス監督へ「先発投手として今年1年投げたい。キャンプから自分をアピールしていきたいのでよろしくお願いします」とアピールした。

飯塚投手についてラミレス監督は「(秋の)奄美キャンプで一番最初に目についた選手。いい球を放っていると思い、年齢を聞いたら19歳だった。手術あけで球数制限があったが、いい投手だとわかったので『これ以上投げさせるな』と話した。試合で投げている姿は見ていないが、ブルペンで見た限りは十分一軍でやっていけるポテンシャルがある投手だと思った。今シーズン、どこかで一軍のマウンドで飯塚投手を見ていただけると思う。できれば新潟での交流戦で投げてもらえれば」と話し、会場から大きな拍手が送られた。

ラミレス監督のサイン色紙やグッズが当たる抽選会もおこなわれた

トークショー終了後にはラミレス監督のサイン色紙やグッズが当たる抽選会がおこなわれ、ファンとの交流を深めた。大洋ホエールズ時代からのファンだという新潟市の大野てのさんは「凄く前向きでクレバーな監督だと感じた。6月(14日)のエコスタでの公式戦は久々に巨人戦ではないので集客が心配だが、強いパ・リーグの日本ハムを相手にDeNAがどういう試合をしてくれるかが凄く楽しみ」と笑顔を見せていた。

6月14日のDeNA対日本ハムの交流戦は2月22日からインターネット限定で先行予約の受付が始まる。

(取材・撮影・文/岡田浩人)