【高校野球】クールな男が見せた“熱さ” 失敗生かして成長 鎌倉航捕手 

野球の神様は日本文理のキャッチャー鎌倉航に甲子園という舞台で“宿題の解答”を次々と要求した。そして鎌倉は見事に満点の解答を出した。

原点の試合で学んだ「大量失点のイニングを作らない」

初回、いきなり1つの解答を要求された。エース飯塚悟史が不安定な立ち上がりを見せ、大分打線にいきなり連打で先制されてしまう。まだ1アウトも取れていない中での失点だった。「1年生の時の自分だったら、たぶんあそこから崩れていたと思います」・・・鎌倉は2年前の、ある試合を思い出していた。

一昨年秋、飯塚-鎌倉という1年生ながら強力なバッテリーを擁し、選抜大会の有力候補に挙げられていた日本文理は、地元ハードオフ・エコスタジアムで松商学園(長野)を迎えて北信越大会1回戦に臨んだ。「普通に勝って甲子園に行けるものだと思っていた」と考えていた鎌倉。だがケガのために本来の球威を欠いた飯塚が初回から失点を重ねる。「周りが見えなくなりパニックになってしまった」という鎌倉は、自身もホームベースを空けるという痛恨のミスから追加点を与えてしまう。初回に4点、3回に5点、4回に4点、5回に2点・・・計15失点。「気がついた時には試合が終わっていた」。0-15という屈辱の大差で5回コールド負け。「未熟だった。恥ずかしかった。あの試合が高校野球の原点でした」と振り返る。それ以降、鎌倉は「大量失点のイニングを作らない」ということを自らの課題としてきた。飯塚の変調を感じるとすぐにマウンドへ。一呼吸置いて落ち着かせることを心掛けた。どんな時も冷静に試合を運ぶ意識を頭から離さないようにしている。

12日の大分戦。初回に連打でいきなり1点を失った場面でも、鎌倉は冷静だった。マウンドで飯塚に声を掛け一呼吸置くと、自らの強肩で二盗を阻止。「あれで気持ちが楽になりました」。1年秋とは違い、失点を最少で抑えた。「あそこで周りを見ながら間合いを取りながら何とか踏ん張ることができました。あの試合の反省を生かすことができたと思います」。

キャッチボールから見直し、躊躇なくストライクの送球

鎌倉が受けた2つ目の宿題は今春の選抜大会1回戦の豊川(愛知)戦。1-0とリードして迎えた9回裏2死。バックホームのボールを受けると3塁走者が飛び出したのが見えた。「刺せる」・・・そう判断した鎌倉は三塁手へボールを投げた。が、ボールは大きく逸れ、同点に追いつかれた。試合は延長戦の末、3-4でサヨナラ負け。「走者が飛び出したのを見て刺せると思った」という鎌倉は試合後、下を向いた。

選抜以後、キャッチボールから自分の動きを見つめ直した。「ステップを踏んで、相手の胸にしっかり投げることと、体重移動をしっかりしてやることを意識しました」。

大分戦では初回の二盗阻止のほか、5回にはリードの大きい一塁走者を矢のような牽制でアウトにした。さらに7回には二塁手からの一塁悪送球をバックアップでカバー。二塁を狙った打者走者を“ストライク送球”でアウトにした。いずれも鎌倉の送球に迷いはなかった。「しっかり投げることができたのは自分が春から課題としてやってきたことができた結果」と話す。

クールな男が見せた“熱い”プレー

鎌倉は自らを「熱くなれない性格」だと分析する。今夏の新潟大会では小太刀緒飛の逆転サヨナラホームランでチームは甲子園出場を決めた。苦しい試合展開からの劇的な結末に周囲の仲間が涙を流す中、「周りを見たらみんな泣いているから、泣かなきゃマズイかなと思ったんですけど、涙が出なかったんです」と笑う。長年キャッチャーを務めてきたためにか、少し引いて物事を見る姿勢が体に染みついている。なかなか自分の『素』を表に出さないため、「一匹オオカミ的なところがある」と大井道夫監督が評するほどだ。

そんな鎌倉が大分戦で一瞬だけ、素を見せた。

7回、先頭打者として大分のエース佐野の直球をとらえ、右中間に二塁打を放った。「前の打席は三振でしたが、相手に6球投げさせることができた。その中でしっかりボールを見ることができて、次の打席では行ける、と思えました。ファーストストライクの直球に張っていました」という鎌倉の計算の一打だった。

そして次打者の飯塚の当たりはセカンドとセンターの間に飛んだ。判断が難しい打球だったが、鎌倉は「詰まっていたので間に落ちると思った」と素早く二塁からスタートを切った。サードコーチャーが腕を回すのを見て、全力で三塁ベースを蹴った。そしてホームへヘッドスライディング。1点を勝ち越した。

「ヘッドスライディングは小学生の時以来でした。何が何でも1点を取りたかったので。走っていたらちょうど真横にボールが来るのが見えた。気がついたら頭から滑り込んでいました。今考えると恥ずかしいです。そんなに頭から滑り込むようなタイミングでもなかったので」

照れ笑いする鎌倉。胸から膝まで土で真っ黒になったユニフォーム・・・いつもクールな鎌倉がその瞬間熱くなり、素を見せた証拠だった。「あの瞬間だけですよ。あとは普通にしていました(笑)」。

「鎌倉さんが気持ちの入ったヘッドスライディングで生還したので、自分も飯塚さんに1点でも多くプレゼントしたい気持ちだった」と話したのは2年の星兼太。直後にダメ押しとなるツーランホームランを放った。

鎌倉は振り返る。「試合が終わった瞬間は、『よっしゃー』というよりは『やっと終わったー』という感じでした(笑)。ようやく勝てたと思いました」

1年生の時から「文理にいれば行けるんだろうな」と思っていた甲子園。1年秋の0-15での敗北。春の選抜で自らの悪送球からこぼれ落ちた勝利。積み重ねてきた試練は、最後の夏の甲子園初戦でまるでテストのように凝縮されていた。そしてその試練を鎌倉は見事にクリアした。

「今までできなかったことができた試合。松商戦での課題が初回のピンチで出てきて・・・。春は追いつかれた後に逆転されましたが、昨日は反省がしっかり生きてその後はゼロで抑えられた。そして自分も、春は悪送球だったが昨日はしっかり投げられた・・・そういう面では自分が課題としてやってきたことが試合に生きたんじゃないかなと思います」

次の試合相手は愛知の東邦。話題の1年生投手がいるチームだ。「準優勝した先輩も愛知に負けて、自分たちも春の選抜で愛知に負けた・・・でも自分たちも練習を積み重ねてきているので、自信を持って思い切りプレーしたい。3年生として、1年生投手に負けるわけにはいかないので」。3年間の高校野球で成長した鎌倉は、その姿を再びプレーで見せるつもりだ。

(取材・撮影・文/岡田浩人)


【高校野球】日本文理・飯塚悟史投手が初戦を振り返る

第96回全国高校野球選手権大会の1回戦で勝利を挙げた日本文理高校のエース飯塚悟史投手が13日午後、取材に応じた。一夜明けて振り返る初戦と試合中の心理状態、中盤以降の組み立ての変化、2回戦の愛知・東邦高校戦への意気込みを語った。

日本文理・飯塚悟史投手(写真は7月27日撮影)

Q一夜明けて気持ちは?
「とりあえず勝ったから今日があるんだなと、ほっとしています。今日はリラックスできました。よく眠れたので。『熱闘甲子園』を観て寝て(笑)、6時半に起きて、みんなで7時から散歩しました。(その後、甲子園で試合を観戦)『昨日ここでやってたんだな』と思いながら試合を観ました。観客として観る甲子園の試合も面白くて、ワンプレーに対する歓声が凄かった。ちょっとしたアウトセーフぎりぎりのプレーなど『こんなプレーに対しても歓声が沸くんだ』と違う目線で見ることができ面白かったです」

Q昨日は145球を投げたが状態は?
「腕は軽く張っている程度。いつもの試合が終わった次の日と変わらない感じです。どうしてもボールが先行して球数が増えちゃったんですけど、以前も球数が多かったので慣れています(笑)」

Q四球が多かった
「もっと早いうちに開き直れば良かった。真ん中でいいや、くらいで、もっとどんどん投げた方が良かったのかなと。コースを気にしすぎた部分があって、ストライクが入らず・・・途中から開き直ったんですけど。(6回から変わった?)自分の中で、思い切って腕を振って投げれば(打者も)引っかけるだろう、という気持ちに切り替えた。もう少し早くそれができれば失点もなかったのかなと。ストライクも取れるようになって、相手も思うように打ってくれたり、三振も取れたので、それが良かったかな」

Q試合での心理状態は?
「あまり自分の中では甲子園、甲子園という感じはなかった。マウンド立った時も凄く気持ち良かったですし。でも試合の初球が抜けてしまって、ちょっと嫌だなと思って、そこから叩こうと思ったらショートバウンドになって・・・。明らかなボールが最初は多くて、自分の中で嫌だなと思って・・・。それが自分の投球が定まらない状況で始まった・・・それが四球や打たれる原因だったかなと思います。ブルペンでは調子は良かったです。しっかり投げることができて、いつもより投球数を増やして汗をかくようにしてやったんですけど・・・。自分の思うようなストライク取れず、先頭打者に3ボール1ストライクまでいって、自分の中で『あれ?今日違うな』という感じがして、気持ちに波ができた。それで置きにいった真っ直ぐが真ん中で(三塁打を)打たれてしまった。ノーアウト3塁は失点は仕方ないなという状況だったので・・・。甲子園なのでストライクゾーンが広め、という頭での投球だったので、ストライクが取れずにどこか動揺していたのかなと」

Q6回からインコースを多く突いた
「(5回の整備中に)特に鎌倉(捕手)と話した訳ではなかったのですが、今日はインコースの方が真っ直ぐもしっかり投げられてるなと思っていて、もう少しインコースを使ってもいいなかと思っていたところで、鎌倉も気付いたのか配球が変わったので。(阿吽だった?)かもしれないです。自分ではなかなかそういう配球をしたことがなかったので、それが今回の試合ではできたので、また投球の幅が広がったかなと」

Q5月の練習試合からインコースを課題に取り組んできた

「それを課題にしていたからこそ、そこで投球の組み立てを変えることができたのが昨日の勝因だったのかなと思います。ここまで来たら、外一辺倒でも打たれますし、インコースをどうしても使わざるを得ない、そこをしっかり投げ込めたのはまた投手として1ランク上がることができたのかなと思っています」

Q次戦に向けていい感触を得ることができた?
「どんな状況が来るかわからないですけど、審判のストライクゾーン、自分のその日の調子もあるんですが、早い段階でそれに気づいて修正を早くできれば。自分で気づけたり、チームの他のみんなに聞いたりしながら早いうちに気づけたら」

Q試合後、ホテルに帰ってからは
「試合のビデオを見ました。(鈴木崇)コーチには『お前は見ない方がいいんじゃね?』と言われました(笑)。でも昨日はコーチに『ナイスピー』と言われて嬉しかったですね。(大井道夫)監督からは『とにかく勝つことができて良かった』と言ってもらって。自分たちも監督も『まず1勝しよう』と近い目標として掲げていたので、それがまず1つ達成できて達成感もあったので、監督は『全体としてはよくやった』とおっしゃってくれた」

Q次戦は東邦高校が相手
「やっぱり打撃がいいので・・・でもそこは自分が内や外の出し入れをしっかりできれば、たとえ失点しても最少失点で抑えられますし・・・まずはゼロで行きたいんですけど。向こうの投手も1年生が乗っているという状況が怖いので、それを自分たちが乗らせないという形にできれば。とにかくここまで来たらやることをやるだけだと思うので。自分の投球はしっかり腕を振って投げる、打撃はみんなでしっかり叩いて打ち崩せるか。まずは先制点にこだわってやっていきたいなと。(選抜に続き愛知県の高校で)そういう面ではいい闘争心が湧いてくる。でも愛知だからというのを気にしすぎても自分たちのプレーができなくなるので、『東邦』という相手に自分たちがどれだけやれるのか、どれだけ勝ちにこだわってやれるのかだと思っています」

(取材・文/岡田浩人)


【インタビュー】日ハム・大渕隆スカウトが来県 「チャンスは身近にある」

十日町市出身で北海道日本ハムの大渕隆スカウトディレクター(43)が28日から新潟入りし、県内の高校などを視察している。大渕スカウトは一昨年のドラフト会議で1位指名した大谷翔平選手(花巻東高出身)の交渉担当として、『大谷翔平君 夢への道しるべ』という資料を作成・提示。粘り強い交渉で入団を実現させた。十日町高の三塁手で主将として2年秋に県大会優勝し、その後早稲田大に進学。東京六大学でベストナインを獲得した。社会人を経た後、地元に戻り公立高校教師に・・・その後、35歳で日本ハムのスカウトに転身した異色の経歴の持ち主だ。プロスカウト現場の最前線で活躍する大渕さんに新潟の高校生への思いを聞いた。

県内の高校を視察する日本ハム・大渕隆スカウトディレクター

Q今回の新潟入りの目的は?
大渕「2月に予定されていた日本文理高の埼玉遠征が大雪で中止となり、選抜大会前に飯塚(悟史)投手を視察したかったので新潟に来ました。せっかくの機会だし各高校にも足を運ぼうと思って数校見て回っています」
Qプロのスカウトはこの時期どういう活動をしていますか?
大渕「自チームのキャンプを見て、3月になると大学や社会人のオープン戦が始まるので見て回ります。高校の練習試合解禁が3月8日。3月は練習試合ばかり見ています」

Qこの時期に高校生を見る際のポイントは?
大渕「名前が聞こえてくる選手はどんな体格をしているのか、どんなフォームなのか・・・この時期は細かいところを見ても仕方がないので。基本的には高校生は素材を見ます。最近はよく高校生に対し『プロに行くなら大学経由がいい』などと言いますけど、僕はそうは思わなくて、18、19歳の感性は23、24歳にはないものがある。素材が良ければ早く高いレベルに入れた方がその選手の野球の能力は上がると確信しています。もちろん人生をトータルで見た時にいろいろな判断があるとは思いますが、野球の能力を伸ばすという意味では、高いレベルに早く入れた方が伸びます。大学行ってからでも遅くはない、という言葉は好きではない。むしろ遅いと思います。僕もアマチュアにいた時はそう思っていましたが・・・」

Q地元新潟の存在は?
大渕「自分がスカウトになってから新潟からはバイタルネットの谷元(圭介投手)しか獲ってないので、できれば高校生をダイレクトで獲りたいという気持ちはあります。ウチの球団は比較的、高校生を育てる環境があるし、意欲的な素材があればぜひと思っています」
Qプロで大成するための大事な要素は何でしょう?
大渕「今現在の自分なりの公式は、『(身体能力+環境)×圧倒的な向上心』ですね。僕自身が考えるには『向上心』がなければ無理ですね」

Q新潟の高校生にメッセージを
大渕「新潟をはじめ、地方の高校生は体格や身体能力において、関東の高校生と比較してもそん色ないどころか勝っている選手が多い。ただ『自分はここまでだ』というリミッターを自分自身で設けてしまっている。非常にもったいない。向上心、やる気があればプロや大学、社会人で活躍できる。ぜひ高い目標と志を持って取り組んでほしい。また、そういう環境を大人が用意しなければならないし、自分自身スカウトとしてそういう選手を発掘しプロに入れることで、もっとプロの存在を身近にしたい。チャンスは身近にあるんだと伝えたいですね」

十日町市出身の日本ハム・大渕隆スカウトディレクター

(取材・撮影・文/岡田浩人)


【インタビュー2014】「目標は全国制覇」…日本文理2年・池田貴将主将

3月21日に開幕する春の選抜甲子園への出場が確実視されている日本文理。キャプテンを務める池田貴将(2年)の2014年は「元日自主トレ」で幕を開けた。

「1月1日から練習をやっているチームも選手も、そうはいない。自分たちはこの日から練習をしているんだ、というのが自信につながります」

十日町市出身。十日町南中では投手。日本文理高入学後から三塁手に。1年秋からベンチ入りし、昨夏甲子園の1回戦・大阪桐蔭戦では7番・三塁手で先発出場し、2回に中越え二塁打でチーム初得点を叩き出した。新チームから主将に就任し、秋の北信越大会では中軸を任され、準決勝の地球環境戦、決勝の東海大三戦で2試合連続サヨナラ打を放ち、5年ぶりの北信越大会優勝に貢献した。神宮大会では決勝の沖縄尚学戦で8点差を逆転負けも準優勝。今春の選抜甲子園での活躍が期待される。

「2013年は夏の甲子園、秋も北信越で優勝して神宮大会も決勝まで行き、一番長い秋を過ごすことができました。最後は負けてしまいましたが、いい経験をたくさん積ませてもらいました。神宮大会の後は周りから『準優勝おめでとう』と言われましたが、自分たちからすると8-0から逆転されて、悔しくて・・・。なぜ優勝できなかったのか、自分たちに足りないものは何か、ということをずっと考えました」

神宮大会決勝では沖縄尚学を相手に、7回表まで5本の本塁打を放ち8-0と大量リード。新潟県勢初の『全国制覇』が目の前まで見えていた。しかし7回に本塁打で3失点。8回に守備のミスも絡んで6失点し、逆転負け。池田は「自分たちの甘さが出た」と痛感したという。

「神宮大会前はただ声を出すだけ、ただやっているだけの練習というのもありました。そういう甘さが8-0から逆転された原因になったと感じました。そこでチームで話し合って、12月から2年生が順番に『1日キャプテン』をやるようにしました。部員の人数も多く、どうしても人任せの部分が出てきてしまっていた。1人1人が自覚、責任感を感じて練習に臨んで欲しい、自分が『言う側』に回ることで見えること、感じることもあると思いました」

「1日キャプテン」を始めると普段声を出していなかった部員から積極的に声が出るようになった。1人1人がチーム全体に目を配るようになり、一体感が高まったという。

「1日キャプテン」を始めるとチームの一体感が高まった

神宮大会決勝で逆転負けを喫したとはいえ、結果は「全国準優勝」。周囲も新潟県内の野球ファンの期待も、高まる。しかし池田はチームの現在の力を冷静に分析している。

「打撃は神宮大会でも思うような結果が出たので、自分たちがやってきたことが間違いじゃなかったと思っていて、これまで以上に力を入れて練習をしていきたいと思います。その一方で、守備練習や投手との連係プレー、走塁など細かいところはまだ課題があり、冬の間にレベルアップしていきたいと思います。甲子園という舞台でプレーするために技術を磨き、技術以外の力も付けなければ勝てないと考えています。周囲の期待は気にしていません。自分たちのできることをやりたい。神宮で優勝していたら恐らく天狗になっていたと思います。8-0から負けて、みんなが悔しい気持ちを持って、やってやるぞという気持ちを持って練習しています」
池田貴将②
Q改めて2014年の目標は?
「個人としては、自分自身は長打力が持ち味なのでそれを磨いて、そこを磨きつつ打率も残さないといけないと考えています。打撃でチームに貢献したい。やっぱりチャンスでの1本だったり、いざとなった時の打撃を磨きたいと思います」
Qチームとしての目標は?
「全国制覇です」

(取材・撮影・文/岡田浩人 ※文中敬称略)


【BCL】「新潟に恩返しを」・・・創設1年目からの唯一の選手 稲葉大樹

10月として初めて35度を超える猛暑日を記録した10日。熱風が舞い込む見附運動公園のグラウンドに、黙々とバットを振る新潟アルビレックスBCの稲葉大樹(ひろき)の姿があった。

「お疲れ様でした」・・・若手選手たちが次々と挨拶にやってきて帰路につく中、稲葉は最後までバットを振り続けた。大粒の汗を額から滴らせながら。

8月に29歳になった。

「若い頃と違って、疲れがだんだんとれなくなってきたんですよ」
そう言って笑顔を見せる。
その分、自分の体のケアには気をつける。毎朝、目覚めた後のストレッチを欠かさない。
「昔はそんなこと、しなかったんですけどね」

新潟アルビレックスBC 稲葉大樹選手

黙々とフリーバッティングをおこなう

東京都の出身。大学を卒業しクラブチームに経た後、新潟にやってきてことしで7年目。BCリーグ初年度、新潟アルビレックスBCが創設された2007年に入団した。現役としては唯一となる「1年目から残る選手」だ。

その類稀なバットコントロールで“新潟の安打製造機”として活躍してきた。一昨年の2011年8月には月間打率.647を記録。公式戦72試合のBCリーグでシーズン100安打を記録した。NPBの公式戦144試合に換算すると「200安打」を放つ計算になる。

今シーズンは6月23日にBCリーグの選手として初めてとなる通算500安打を達成。後期は打率.403の数字を残し、野手MVPを獲得。自身2度目のシーズン100安打も記録した。

「独立リーグで7年目、選手として何千打席も立ってるし、何百球も捕ってきている。積み上げてきた経験から、若い時よりも技術は上がってきています」
稲葉は自信を持って答える。
一方で、こうも言う。
「年齢も年齢だし、そろそろ後輩たちにも自分の姿勢を伝えていかなきゃいけない。自分のことだけを考えてちゃいけない。チームのため、後輩のため、という気持ちになってきました」



入団したての若い時はひたすら練習を積み重ねた。周囲の選手は関係なく、ただがむしゃらに自分のことだけを考えてバットを振った。しかし、なかなか結果が出なかった。

入団5年目の一昨年、高校の先輩でもある橋上秀樹氏(現・巨人戦略コーチ)が監督に就任した。「人間的な成長なくして、技術の成長なし」・・・橋上氏はことあるごとに稲葉に言い続けた。

最初はその言葉の意味するところがわからなかった。しかし、生活態度を改め、まわりへの目の配り方を変えると、これまで見えていなかったものが見えてきた。投手の細かなクセ、配球の傾向・・・今まで考えなかったことを考えるようになった。そして稲葉のバッティングは大きく飛躍した。

稲葉は今、その経験を若い選手に“背中で”毎日伝えている。

人間力が高くないと、野球のいろんなことに気づくことができない。ここに早く若い選手に気づいて欲しい。僕はもうNPBに行くには厳しい年齢になってしまったけれど、若い選手も早く気づかないとNPBに行ける年齢ではなくなってしまう。練習するのは当たり前。そこにプラスして、なぜその練習が必要なのか、そこを考えないとNPBに行けないと思うんです。僕はあまり口が上手い方でもないし、ガツンと言うタイプでもない。聞いてくれば教えるけれど、気づくかどうかはその選手次第。先輩として、いい経験をしているプレーヤーとして、僕の行動やプレーで気付いてほしいんです。僕は若手に失礼にならないようにという責任感を持ってやっています」

5日から始まったリーグチャンピオンシップ(CS)。2年連続の優勝を目指す新潟アルビレックスBCは石川ミリオンスターズに2連敗を喫し、後がなくなった。石川とは一昨年のリーグCSで対戦。6点差をひっくり返され優勝を逃した。新潟にとっては「超えなければいけない」相手だ。

「去年、ことし入ってきた選手はどう思っているかわからないけど、やっぱり石川に対しては特別な思いがありますね、2年前に悔しい負け方をしたので。今、2連敗して確かに崖っぷちかもしれない。けれど守ったらダメ。攻めるしかない。攻める=失敗する、というリスクもあるけど、でも攻めなきゃ始まらない。自分たちで流れを呼び込まなければ・・・」

12日からはホームで3連戦が始まる。稲葉とチームメイトが目指してきたリーグ連覇には3連勝しか残されていない。

そして稲葉は、もう1つの“特別な思い”でこのホーム3連戦の打席に立つ。

「新潟アルビレックスBCという球団は、自分が夢に挑戦する場を与えてくれた球団です。アルビがなかったら7年前に野球を辞めていました。幸い残り3試合はホームでの試合。最高のサポーターの前で胴上げをして、何とか恩返しをしたいんです」


(取材・文・撮影/岡田浩人)


父子で甲子園の夢叶わずも「次は指導者で父子勝負」・・・五泉・後藤拓朗主将

勝負の世界には、時に残酷な結末が待っている。

父親が監督。息子が主将。「父子鷹」として注目を集めた五泉。
19日の4回戦で新潟工を相手に3対1とリードして9回を迎えていた。
しかし1死からミスをきっかけに同点に追い付かれる。

迎えた延長12回表、2死2、3塁のピンチ。
ショートとセンターの間の難しい場所にボールが飛んだ。
「拓朗なら捕れる」・・・父の後藤桂太監督は確信した。センターの息子・後藤拓朗は俊足を飛ばして落下地点へと入る。
「捕った」・・・そう思った瞬間、白球が拓朗のグローブからこぼれ落ちた。
痛恨の落球。1点を勝ち越され、その1点が決勝点となった。
延長12回、3対4で敗戦。甲子園初出場を目指した五泉の夏は終わった。

父・後藤桂太監督(左)と息子・後藤拓朗主将(左から3人目)

父・後藤桂太監督は1984年春の選抜大会に新津高校の捕手として甲子園に出場した。「甲子園に行けば人生が変わる」・・・長男の拓朗は子どもの頃から父にそう聞かされてきた。
拓朗は五泉北中学時代に本格的に野球を始めた。「足は速かったがそんなにうまい選手ではなかった」(父・後藤桂太監督)が、中学3年では準硬式のKボール新潟県選抜に選ばれた。私立高校からの勧誘もあったが、父のもとで甲子園を目指す決意をした。
それ以来、父と子の関係は「監督と選手」に変わった。自宅でも拓朗は父親を「監督」と呼び、普段の生活から敬語を使って話すようになった。
父の息子への指導は厳しかった。「物凄く叱られました」と拓朗は振り返る。監督も「いつもどやしつけていた。耐えて頑張れ、と思っていた」という。

父の期待に息子は応えた。新チームで主将になり、不動の1番打者としてチームをけん引した。去年秋の新潟県大会でベスト4に進出。北信越大会で強豪の敦賀気比(福井)に善戦し、春の選抜甲子園の21世紀枠の最終候補に残った。
「冬は21世紀枠の候補に選ばれて、甲子園ではどういう戦い方をしようかと監督と毎日そういう話ばかりしていました」(拓朗)
20121012五泉
去年10月、新潟県大会3位で北信越大会に出場

しかし、1月の選抜大会の選考委員会の結果、五泉は21世紀枠の選考から漏れた。甲子園出場の夢は叶わず、後藤桂太監督は記者会見で涙を見せた。そして、選手たちにこう言った。「お前たち、悔しいよな。神様はお前たちに『もっと力をつけてから甲子園に行け』と言っているんだ」。
主将の拓朗は父である監督の涙を見て「燃えました。夏は監督を甲子園に連れて行こうとみんなで誓いました」という。

1月25日、21世紀枠で選考漏れし涙を見せる後藤桂太監督

迎えた夏。初戦をコールド勝ち。2戦目も苦しみながら勝利で飾り、シード校・新潟工との対戦となった。
「練習試合でも勝ったことがなかった」(後藤桂太監督)という新潟工相手に、序盤に2点を先制。5回には拓朗の中越え二塁打をきっかけに1点を追加。五泉ペースで試合は進んでいた。

19日の新潟工戦。5回に後藤拓朗主将が3点目のホームを踏む

しかし、7回に1点を返され、9回には同点に追い付かれた。延長12回、新潟工のエースで7番打者の増子のセンター前への当たりを拓朗がよく追いついたものの落球。新潟工に逆転を許した。
拓朗は振り返る。
「新潟工のエース増子とは中学時代にも県大会で対戦しました。その時にセンター前に来た当たりを僕が捕れずにサヨナラ負けを喫してしまった。あの時もっと前に出ていれば…とずっと思っていました。今回も増子の打った球が僕のところに飛んできました」
中学時代と違い、拓朗は迷わず前に出た。ボールには追いついた。しかし、ボールはグローブに当たり芝生に落ちた。

「捕れた打球でした。自分の力不足でした」
敗戦後、涙を流すナインの中で、拓朗は決して涙を見せようとはしなかった。
ベンチ裏で報道陣の取材に健気に応じていた。
「自分の甘さが出ました」・・・敗戦の責任を一身に背負っているように見えた。
父親の後藤桂太監督は、無念の表情で言葉を絞り出した。
「まさかこういう負け方で終わるとは・・・。悔しさしかない。もう、悔しいですわ。勝たせてあげたかった」・・・そう言うとうなだれた。

敗戦から一夜明けた五泉高校グラウンド。
朝8時過ぎには3年生17人が集まっていた。
グラウンドの草むしりをし、下級生である1、2年生の練習を手伝っていた。

後藤桂太監督はさばさばした表情で前日の試合を振り返った。
「きのうの試合は良いところも悪いところも出るものが全部出た。練習通りのことが本番で出る、練習でやっていることしか本番で出せない。このことをこの先の人生に生かして欲しい」

敗戦から一夜明けた20日、五泉高校グラウンド

そして父と子の関係ではなく、監督と選手、監督と主将として拓朗と過ごした2年4か月をこう語った。
「無茶苦茶幸せな時間だった。息子が上達していく姿を一番近くで見ることができて・・・アイツが打って、どうだ!という表情でこっちを見る。たくましくなったなと思っていた。今は親と子が仲良く・・・という時代だけど、こういう関係の父子でも幸せだった」

拓朗は大学への進学を希望している。父と同じ教師の道を目指し、高校野球の指導者になることが目標だという。

試合に負けた夜、帰宅した父に呼ばれた。部屋で2人きりで話をした。
「『きょうの試合はお前で負けた』と言われました。その後、『甲子園にお前と一緒に行くという俺の夢は終わった。だけど、この先の俺の夢は、監督となったお前と戦うことだ。それを目標にやっていこう』と言われて・・・。監督と握手をして、そこで初めて涙があふれました」

五泉高校野球部3年生の部員たち(真ん中が後藤拓朗主将)

後藤桂太監督は「これから息子とどう付き合っていけばいいのか」と照れながら笑った。父子鷹の物語は第2章へと向かう。

拓朗は「まだ教えてもらうことがたくさんあるので、卒業するまでは『監督』と呼ばさせていただきます。甲子園には連れて行けなかったけれど、違う形で恩返ししたい。将来、高校野球の監督になって、絶対に『監督』に勝ってみせます」
そう言って笑う拓朗の目は、父にそっくりだった。

(取材・撮影・文/岡田浩人)


けが乗り越えリベンジ果たす…新発田・山田健登投手

最後のバッターを渾身のストレートで三振に切ってとると、高くその左腕を突き上げた。
「気持ちで投げました。県央工には絶対に勝ちたかったので嬉しかった」

3度目の正直、3度目で掴んだ勝利だった。

1年前の夏の新潟大会。シード校を破った新発田は3回戦で県央工と対戦した。2回までに10点を奪い、10-1とリードした。誰もが新発田の勝利を疑わなかった。

しかし、そこから県央工の粘りにあった。当時2年生だった山田は2番手で登板したが、県央工の勢いを止められなかった。追い上げられて降板。試合は9点差を追いつかれ、延長10回の末サヨナラ負け。悪夢のような敗戦だった。

1年前のスコア 新発田は9点差を逆転された

迎えた昨秋の大会も、準々決勝で県央工と対戦した。新チームでエースとなった山田は完投したものの0-1で敗れた。

夏でのリベンジを期していた山田にさらなる試練が襲い掛かる。昨年12月に左肩に痛みを覚え、ボールを握ることができなくなってしまった。

「けがをしてしまって苦しい冬でした」・・・山田は振り返る。

痛みは春まで消えなかった。その間、試合で投げることはできず、地道な練習を積み重ねた。「体幹や階段ダッシュで下半身を鍛えました。ウェートトレーニングで筋肉をつけ、食事を多くとるようにしました。そのおかげで体重が6キロ増えました」・・・体が一回り大きく、たくましくなった。何より「精神的に成長している」と石川浩監督は目を細める。

5月中旬ころから試合に出始めたが、投げ込み不足から制球がままならなかった。しかし、夏への気持ちは切れなかった。1回戦、2回戦と徐々に調子を上げてきた。

迎えた19日の県央工戦では、初回に制球が定まらずに連続四球でピンチを招いたが、そこから圧巻の3者連続三振で無失点に抑えた。これで「いい流れになった」

球の出所が見えにくいフォームで、左腕から伸びのある直球とキレのある変化球を投げ込む。9回を完封。被安打は僅かに2で、奪った三振は14を数えた。昨夏、昨秋と2度にわたって敗れた相手に対して、リベンジを果たした。

19日のスコア 山田は県央工を完封した

「チームで一丸となって、県央工を倒そうと練習してきました。勝てて嬉しい。四死球が多かった(7つ)のが次戦への課題」と話し、反省も忘れなかった。
これで3試合27イニングを投げ無失点。奪三振は44という数を数えた。
石川監督も「彼が投げるとチームがいいリズムに乗れる。山田がしっかり投げるのがウチのパターン」と信頼を寄せる。

「次からはもっと強いチームと当たる。点を取られても最少失点で粘り強く投げたい」
1つの目標であったリベンジは果たせた。ただチームの目標はあくまで「頂点」。甲子園まではあと3つだ。
「どこよりも長い夏にしたい」・・・試練を乗り越えた山田の決意がチームを引っ張っている。

(取材・撮影・文/岡田浩人)


屈指の左腕「自分の投球できた」・・・糸魚川・石川勇二投手


延長10回。1死満塁のピンチ。この夏、糸魚川の石川勇二が投じた309球目となるボールだった。新発田農のバッターが弾き返すと、打球はセカンドへと転がった。狙い通りの内野ゴロ。途中交代したセカンドの選手がグローブからボールを取り出し、バックホームしようとした瞬間だった。

強く降りしきる雨でボールが手のひらから滑り落ちた。

白球がグラウンドに落ちる。慌てて拾ってホームに投げたが間に合わなかった。痛恨のサヨナラ負け。その瞬間、県内屈指のサウスポーの夏は終わった。

糸魚川は延長10回サヨナラ負けで力尽きた(左端が石川勇二投手)

昨夏ベスト4に進出した糸魚川。その原動力は当時2年生だったサウスポーの石川だった。130キロ台後半の直球に鋭く曲がるスライダーとチェンジアップ、そしてピンチでもインコースを突けるマウンド度胸と制球力が抜群だった。今年春の大会には複数のNPBスカウトが「石川詣で」のために足を運んだ。

地元・糸魚川でも周囲の期待は高まっていった。しかし石川は落ち着いていた。
「周りからの目もあり、私生活もしっかり過ごすことができたと思う」
昨夏は準決勝でスタミナ切れのために力尽きたことから、走り込みを増やした。連投でも疲れない体力を養ってきた。初戦は延長14回を1人で投げ抜いた。球数は173。
中1日で迎えた17日の3回戦は粘りの投球を続けた。1点をリードされたものの我慢の投球を続けた結果、終盤8回に仲間の集中打で逆転し、4-3とリードした。

しかし、リードを守り切れなかった。次第に強く振るようになった雨が、石川の体力を奪っていった。8回に追い付かれると、延長10回に力尽きた、

「初戦の疲れはなかった。相手が強かった。みんなが自分を支えてくれた。最後のプレーは雨の中で仕方ない。自分の投球はできました」・・・試合後、石川はさばさばした表情で振り返った。この夏、1人でマウンドを守ってきた男は決して言い訳をしなかった。牛木晃一監督は「初戦で延長14回を投げ、疲れがないというのはウソになると思う。よく投げてくれた」とねぎらった。

「牛木監督のもと練習ができたことが楽しかったですし、悔いはない。大学で野球を続けたいと思っています。できれば指導者になりたいし、チャンスがあるならプロも目指したい」
石川は最後まで涙を見せなかった。それは充実した高校野球生活を送ってきた証だった。

(取材・撮影・文/岡田浩人)


中越沖地震から6年「勝利の喜び両親に」・・・柏崎常盤・山田隼己選手

3対3の同点で迎えた4回裏に、満塁のチャンスで打席が回ってきた。9番の山田が打席に立つと柏崎常盤のベンチが盛り上がる。「隼己、笑え!」…その言葉に打席の山田は、まだあどけなさの残る笑顔を見せた。

悪夢のようなあの日から、ちょうど6年目の日だった。

柏崎常盤・山田隼己選手(右)

15人の犠牲者を出した中越沖地震。山田は小学6年生だった。地震の揺れで自宅は倒壊。「立っていられなくて、声も出ないほど泣いた」と話す。仮設住宅で2年もの間、不自由な時間を過ごした。山田を最初に取材したのはこの頃。「地震に負けずに野球を頑張りたい」とあどけない表情で話す小学生だった。

巨人好きだった父親の影響で、当時の遊撃手の鴻野淳基(こうのじゅんき)さんにあやかって、隼己(じゅんき)と名付けられた。幼い頃から野球が大好きで、体は小さかったが、プロ野球選手を夢見て、地元のチームで一生懸命練習をする子どもだった。

しかし、地震で自宅や野球道具が被害を受けた。野球を続けるのを諦めようと思った時期もあった。だが両親が山田を応援した。中学で3年間、高校で3年間、野球を続けることができたのは両親のおかげだ。最後の夏、背番号4を付けることができた。

初戦となった16日の小千谷戦。柏崎から球場へと向かうバスの中で、山田は思った。
「きょうであの地震から6年・・・よく野球をやってくることができたなと。いろんなものが壊れたりした中で、よくここまでやってくることができたなと思いました」

小山建史監督は山田を「ムードを変えられるバッター」と評する。「1年春のデビュー戦に代打で出したら、たまたまポコンとヒットを打って、そこから流れが変わって逆転勝ちできた。彼が出塁するとチームのムードが変わる」とその役割に期待する。

試合は小千谷に1点を先制されたものの、柏崎常盤が3点を奪い逆転。その後、3対3の同点に追い付かれた後の4回裏、満塁のチャンスで山田に打席が回ってきた。

「いつも打席に立つとベンチでみんなが笑っていてくれて、ここで出たら流れが変わるかもしれないと思っていました」

ファールで粘り、ボールを見極め、押し出し四球を選んだ。山田の出塁にベンチ内はどっと沸いた。山田は一塁ベース上で笑顔を見せた。そこから四球と連打でこの回に6得点を挙げ、試合の流れを決定付けた。5回にはヒットを放ち、セカンドの守備でも2度の守備機会を無難にこなした。12対8で初戦となる2回戦を突破した。

仲間と勝利を喜ぶ山田隼己選手(右から5人目)

「最初に点を入れられた時は、飲み込まれそうになったんですけど、点を入れて逆転して、最後まで粘れて良かったです。勝った瞬間、最後は泣きそうでした。両親にこの勝利の喜びを伝えたいです」

地震から6年。悪夢だった日を、勝利で飾ることができた。小学6年生だった山田は、今では身長が175センチと立派な高校球児に成長した。体だけではない。心も大きく成長していた。3回戦は昨夏優勝の新潟明訓と対戦する。
「できる限りのプレーをして、悔いのないように戦いたい」

(取材・撮影・文/岡田浩人)


指導者として帰って来た“甲子園の4番”・・・開志学園・川上大輔監督

やはりユニフォーム姿がよく似合う。
開志学園の新監督・川上大輔さん(24)は、新潟明訓のOB。2007年夏の甲子園に出場した際は、4番キャッチャーとしてチームの要だった。ことし4月から同校のコーチとしてチームを見てきたが、監督兼任だった松本靖部長に代わって先月から「監督」となり、この夏から初めての指揮を執った。「最初は戸惑いがあったが、自分が緊張していると選手にも伝わるので、緊張しないよう心掛けた」と話す表情は初々しい。

ユニフォーム姿でグラウンドに帰って来た川上大輔監督(右)

2007年夏の甲子園では永井剛(現・HONDA)をリードし甲子園で2勝を挙げた。立正大学を卒業後、新潟に戻ってきた。「もともと指導者になりたかった」という川上さんに、開志学園のコーチ就任の白羽の矢が立った。春からグラウンドに立ち、選手を指導した。

「高校球児である前に学生。私生活をしっかり見つめ直して、野球の技術以前にそういうところをしっかりやらせるように心掛けています。寮の清掃、グラウンド整備・・・まだまだですが徐々にできるようになってきました。それがいいプレーに繋がっていくと思います」・・・それは川上さんが新潟明訓時代に佐藤和也前監督から教わったことだった。

「甲子園は広くて観客の声援も大きい。甲子園でも通用するくらい大きな声を出させるよう指導しています」と自身の経験を選手に伝えている。捕手としてキャッチングを教わった川崎太陽主将は「年齢が近くてアニキのよう。でも厳しいところは厳しく指導してくれました」とその印象を話す。

拍手で選手をベンチに迎える川上大輔監督

7月11日の1回戦では加茂暁星に延長10回サヨナラ勝ち。去年秋の新チーム発足後の初勝利を挙げた。15日の2回戦では、強打の新潟工を相手に、初回に1番で1年生の小池が先頭打者本塁打を放ち先制すると中盤までは互角以上の闘いを見せた。「緊張せずに楽しくやること。名前負けするのではなく、自分たちの力を全て出すこと」・・・選手たちは川上さんの言う通りに伸び伸びと力を発揮した。終盤に突き放され、結果は8回コールド負けだったが、「私が想像していた以上に彼らはよくやってくれた」と川上さんは選手たちを褒めた。

3年生は卒業するが、ベンチ入りメンバー15人のうち2年生が2人、1年生が11人を占める若いチーム。「守備から流れを作りチームを目指したい。甲子園を狙えるチームを作りたい」と意気込む。甲子園の4番を打った若き指導者の監督ロードが始まった。

(取材・撮影・文/岡田浩人)