【高校野球】中越の甲子園ベンチ入りメンバー紹介(背番号10~20と記録員)

「第107回全国高校野球選手権大会」に新潟代表として7年ぶり12回目の出場を果たした中越高校のベンチ入りメンバー20人と記録員を2回に分けて紹介する。

※名前・読み方・学年・守備位置・出身中学(硬式出身チーム)・身長体重・投打


⑩石山愛輝(いしやま・よしき)・3年・投手
新潟市立巻東中(新潟北シニア)・180cm・78kg・右投げ右打ち

新潟大会では最速148㌔の直球と鋭く曲がるスライダーで三振の山を築いた。特に準決勝の関根学園戦では二番手として4回から登板し、6回を投げて10奪三振、無失点と快投をみせた。一方で決勝の新潟産大附戦では先発するも初回に2失点し降板。「仲間が点を取ってくれてありがたかった。優勝した瞬間、その気持ちがあふれて、なかなかマウンドの輪に行けなかった」と振り返る。雨木とは中学時代からのチームメイトでライバル。昨秋はエースとして北信越大会に出場し、敗れたものの1回戦で毎回の13奪三振をマークした。しかし今春フォームを崩し、県大会では登板なし。フォームを一から見直し、夏の直前にようやく復活した。「たくさんの人の助言のおかげ。気持ちで負けないよう、甲子園ではしっかり投げたい」と31年ぶりの勝利へ、全力で腕を振る。


⑪遠藤快斗(えんどう・かいと)・3年・投手
長岡市立堤岡中・164cm・65kg・左投げ左打ち

最速140㌔の左腕で、マウンド度胸と球のキレで勝負する。新潟大会決勝では1回途中からマウンドに上がり、見事に試合をつくって優勝に貢献した。「やるべき仕事をやっただけ」と淡々と話す口ぶりに気持ちの強さがうかがえる。中学時代は軟式でプレー。「自分の力を試してみたいと思った」と中越に進学。昨秋の県大会でベンチ入りしたが、調子を崩したために北信越大会ではベンチ外となった。「自分一人だけがメンバーから外れて悔しかった」。その思いを胸に冬の間の自主練習では捕手が構えたところに投げ込むよう制球を磨き、球のキレを出すために体を鍛えた。その努力が春の県大会準決勝、そして夏の決勝での好投に繋がった。「自分が登板するときは厳しい場面。集中して投げたい」とその時に備えている。


⑫小柳琉(おやなぎ・るい)・3年・捕手
加茂市立七谷中・176cm・76kg・右投げ右打ち

控え捕手で、新潟大会ではブルペンで準備する投手陣を支えてきた。「次に投げる投手の球を受けながら、きょうの調子や一番いいフォームを頭に描き、一番いい状態で投手がマウンドに立てるよう心がけてきた」。小学3年生から捕手一筋。中学時代に中越の練習を見学し、「本田監督のノックに勢いがあり、チームの雰囲気がよかった。丁寧に細かく、自分たちで作り上げていく守備練習に心を惹かれた」と進学を決めた。寮では寮長として50人近い寮生をまとめる立場。その視野の広さと目配り、気配りに部員たちが一目置く存在。甲子園では「いつ出番が来てもいいように準備し、出ない場面でも投手を支えて、『このチームが投手陣で勝つことができ、それを支えたのが自分だ』と言えるように頑張りたい」と自分の仕事に徹する。


⑬那須銀河(なす・ぎんが)・3年・外野手
上越市立三和中(上越ボーイズ)・173cm・83kg・右投げ右打ち

右打席からの長打力が持ち味。夏の大会前の練習試合では本塁打を放ち、新潟大会では初戦で代打出場し安打をマークした。「新潟県で甲子園を目指すならば中越しかないと思った」と上越市から進学を決意。ただ昨夏の新チーム発足後はなかなか打撃で結果が出なかった。そのときに主将の窪田からの励ましのLINEを受け、「もう一度自分を見つめ直す機会になった。あのときの窪田の言葉に助けられた」と感謝する。「レギュラーも控えも、繋がりが強い学年で大好き。この仲間で甲子園に行けることがうれしい」と笑顔をみせる。甲子園では「いつでも出られるよう最高の準備で臨みたい」と出番を待つ。球場𠮷の雰囲気を変える一振りに期待である。


⑭𠮷川逸(よしかわ・いつた)・3年・内野手
柏崎市立第三中(柏崎シニア)・172cm・65kg・右投げ右打ち

内野手の控えで「守備とバントが得意」と話す。ワンポイントでの起用が想定されるが、「しっかり準備をしたい」と出場機会に備えている。7歳上の兄の友人が2018年夏に中越で甲子園に出場した。その姿を見て、「中越で野球がやりたい」と進学。新潟大会では三塁のランナーコーチを務め、「一瞬の状況判断の力を磨いてきた。自分の判断で試合が決まることについてプレッシャーはあるが、決めることができたときはうれしい」と目を輝かせる。準決勝の関根学園戦では2対2の同点で迎えた7回1死1、2塁から窪田の左前安打の際に2塁走者に手を回し、それが決勝点となった。甲子園では「今までやってきたことを信じて攻めたプレーを心がけたい」と力を込める。


⑮石黒匡倫(いしぐろ・まさのり)・3年・内野手
長岡市立三島中(長岡シニア)・180cm・73kg・右投げ右打ち

内野手の控えで、主に三塁手として堅実な守備でチームに貢献する。新潟大会では初戦で代打出場し、内野安打を放った。「先発として出たい気持ちもあったが、自分のできることをして甲子園に出たかった」とベンチからレギュラーメンバーを支え、フォア・ザ・チームに徹した。父親の影響で小学1年生から野球を始め、中学時代は長岡シニアに所属。「仲間たちと一緒に野球がやりたかった」と中越進学を決めた。守備に自信はあったが、打撃が課題だった。そんな中でも「朝から夜までずっと一緒に自主練習に付き合ってくれた仲間の存在があって頑張ることができた」と振り返る。甲子園では「支えてくれた人たちへの恩返しの気持ちを持って、全力で楽しんでいる姿を見せたい」と自らのプレーに思いを込める。


⑯佐藤海来(さとう・かいら)・3年・外野手
燕市立吉田中・172cm・72kg・右投げ右打ち

思い切りのいい打撃と、内野と外野を守ることができるユーティリティープレーヤーとしてチームを支える。中学時代は投手と遊撃手として活躍し、県大会で秋春夏の三冠に輝いた。高校進学の際に「甲子園に行くために一番近い学校だと思った」と中越を選択。2年時に投手から野手への転向をしたが、コツコツと努力を重ねた。新潟大会3回戦では中学時代のチームメイトである小網太陽のいる日本文理と対戦し勝利した。甲子園出場が決まると小網から「おめでとう」と連絡があり、「仲間たちの分も頑張ろう」と心に誓う。甲子園の大舞台。「みんな、緊張したりムードに飲み込まれたりすることもあると思うが、しっかりメンバーを支えたい」と話し、「出場する機会があればヒットを打ちたい」と活躍を期す。


⑰白井啓吾(しらい・けいご)・3年・外野手
長岡市立越路中(新潟西シニア)・168cm・65kg・左投げ左打ち

外野手の控えで、左の代打の切り札。体格は大きくはないが、思い切りのよさと柵越えを放てる長打力が持ち味である。中学時代は新潟市内の新潟西シニアに所属。高校の進路選択で中越の練習をみて、「先輩たちの自立している姿に、自分もそうなりたいと思った」と進学を決めた。越路の自宅から毎朝4時半に起き、5時半には自宅を出発、6時過ぎには学校に着いて自主練習で汗を流す日々を過ごしてきた。「最初は生活のリズムに慣れるのに苦労したが、今となっては努力を続けることができてよかった」と振り返る。甲子園では「持ち味である長打力をいかし、自分が代打で打って流れを変えたい」とチャンスでの一振りに思いを込める。


⑱高野塁(たかの・るい)・3年・投手
長岡市立刈谷田中・163cm・62kg・左投げ左打ち
控えの左腕投手。「雨木、石山、遠藤の3人とは違うタイプ。自分が投げるときはワンポイントで、流れを変えたいとき」と冷静に役割を分析している。父親が中越野球部OBで「小さい頃から映像を見せてもらい、気がついたらあこがれていた」。選手層、特に投手陣の層が厚いチームにあって、自らの存在価値が何かを常に考えてきた。新潟大会の優勝の瞬間も「うれしかったのですが、最後までブルペンで登板準備をしていたので(歓喜の)輪に入るのが遅くなってしまった」と笑いながら振り返る。「今春の選抜甲子園の決勝戦で横浜の片山大輔投手が6回のピンチで登板し、智弁和歌山の左打者から1球で三振を奪ったように、自分もああいう投球で流れを変えたい」と甲子園での登板を思い描いている。


⑲井口慎平(いぐち・しんぺい)・3年・外野手
南魚沼市立大和中・175cm・68kg・右投げ右打ち

外野手の控えで、右の代打の切り札。「ミート力と長打力が持ち味」と長所を話す。3学年の上の兄・大輔さんが中越高校の出身で、「兄が準決勝で敗れて甲子園に行けず、自分が中越に入って甲子園に行くという夢があった」と入学を決めた。中越では冬に自分でノルマを決め、それを期間内にクリアするまで練習を続ける「自己課題」と呼ばれる練習があるが、「苦しかった。でもそこを乗り越えたことで今の自分がある」と振り返る。「最後にみんなで協力でき、甲子園に行けたことがうれしい」と喜ぶ一方、今夏の新潟大会では初戦で代打出場も2打数無安打に終わったため、「甲子園では勝負強い打撃ができるように」とバットを振ってきた。「初球から甘い球は逃さない」…集中力を研ぎ澄ませ、出番を待つ。


⑳佐々木快晴(ささき・かいせい)・3年・外野手
長岡市立山本中(長岡東シニア)・177cm・70kg・右投げ右打ち

外野手の控え。一塁のランナーコーチを務め、声と気持ちでチームを鼓舞する。「出場機会は少ないが、仲間のサポートやメンバーが見えない部分をしっかり伝えてチームに貢献したい」と自らの役割を話す。小学生の頃から本田監督と親交があり、「中越で野球がしたかった」と進路選択に迷いはなかった。足をいかした守備範囲の広さが武器。甲子園でも一塁ランナーコーチを務めるが「しっかり指示を的確に伝えられるようにしたい」と意気込む。名前の由来は「自分が生まれた日の天気が快晴だったからで、とても気に入っている」と笑顔を見せる。チームに元気と、爽やかな空気を送り込む存在として、甲子園でもその声でチームを奮い立たせる。


◎広川悠人(ひろかわ・ゆうと)・3年・記録員
長岡市立西中(長岡東シニア)・171cm・67kg・左投げ左打ち

記録員としてベンチ入りし、メンバーたちを支える。9歳上の兄で長男の健介さんは2016年夏に主将・捕手として、7歳上の二男・俊也さんは2018年夏に外野手として、それぞれ甲子園出場を果たしている。当時小学生だった悠人は兄たちの姿を追いかけてきた。中越で甲子園に出場することは宿命だった。ところが去年夏に右足をケガ。今春はベンチ入りできず、今夏もメンバー入りは叶わなかった。ただ本田監督から「記録員」としての指名を受けた。「選手としてベンチ入りはできなかったが、気持ちを切り替えて自分のできることをしよう」と決意。新潟大会では相手の配球を分析し、打者に助言を送った。「甲子園で勝って、兄たちを越えたい」。ベンチ入りメンバー20人とともに、聖地で戦う。

(取材・撮影・文/岡田浩人 撮影/武山智史、若月仁)