【中学軟式・高校野球】宇津木妙子氏が講演 中学・高校指導者講習会

新潟県中体連軟式野球専門部と新潟県高野連は23日、県内の中学と高校、そしてソフトボールの指導者を対象にした講習会を新潟市で開催し、ソフトボールの元日本代表監督で、現在はNPO法人「ソフトボール・ドリーム」の理事長を務める宇津木妙子さん(64)を招いた講演会を開いた。宇津木さんは約300人を前に「選手を活かしてあげることで、指導者である自分が活かされる」と長年、日本代表監督を務めた経験をもとに熱く語った。

講演するソフトボール元日本代表監督の宇津木妙子さん

講習会は3年に一度、県内の中・高の指導者向けに開催されている。2011年には智弁和歌山高の高嶋仁監督、2014年には日大三高の小倉全由監督が講演を行っている。宇津木さんは県の中体連や高野連が中心となり昨年製作したマナー本「新潟メソッド」の趣旨に賛同し、推薦人の1人として名を連ねている。今回の講演はその時の縁がきっかけで実現した。

宇津木さんは「夢の実現~努力は裏切らない~」と題して講演。5人きょうだいの末っ子として育ったが、中学時代にソフトボールの顧問から「同じ親から生まれた子どもでも個性、性格はみんな違う。自分の一番いいところを活かせばいい」と言われたことが印象に残り、ソフトボールに情熱を注いだと話した。高校卒業後に社会人のユニチカに入社したものの補欠。そこで出勤前にランニング、仕事後に練習に取り組むという努力を重ね、自ら立候補しキャプテンに就任。チームをけん引し、13年間で全日本総合選手権で2度優勝、全日本実業団選手権で4度優勝など、輝かしい実績を残した。

その後、1986年に日立高崎女子ソフトボール部(現在のビックカメラ女子ソフトボール高崎)で監督に就任。「地域から応援されるチームを目指した」と話す。「選手の性格、家族構成、ピンチやチャンスに強いかどうか」などを記した個人カードを作り、選手の個性の把握に努めたという。その後、3年でチームを日本リーグ1部昇格に導いた。1996年のアトランタオリンピックでソフトボールが正式種目になり、日本代表のコーチとして汗をかいた時に、「ソフトボールをメジャーにしたい」と夢が膨らんだという。

国際大会でアメリカやオーストラリアと戦った際に、「海外の選手と日本の選手との違いは試合前の『準備』に差があった。日本の選手は『指示待ち』で、海外の選手は自己管理ができていた」とその違いを痛感。「自分を知った中で、チームの中で自分に何ができるか考えよう」と選手に呼び掛けた。2000年のシドニーオリンピックでは日本代表監督に就任し、決勝でアメリカに敗れたものの銀メダルに輝いた。

会場には中学・高校の指導者約300人が宇津木さんの話に聞き入った

「シドニーオリンピックのメンバーは個性派の選手の集まりだった。ただソフトボールをメジャーにしたいという思いは1つだった」と宇津木さん。「厳しい練習を課し、それをやり遂げた時の達成感、勝利の積み重ねが自信に繋がった」と話す。

現在、東京国際大で女子ソフトボール部の総監督を務める宇津木さんは「選手の上手い下手は関係ない。出会った以上は活かしてあげたい。子どもたちをどうやって活かすかは皆さんの手にかかっている。チームだけど個。自分の与えられた仕事を全うすることが大事。それは野球とソフトボールの特徴。選手を活かしてあげることで、指導者である自分が活かされる。時代は変わっているが人間の根本は変わらない」と強調した。

(取材・撮影・文/岡田浩人)


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