【高校野球】それぞれの夏・・・高校最後の地で踏み出した新たな一歩

「3年前のあの時は、もう二度とこの場所には来ない、一生野球もやらないと思っていました」

8日、柏崎市佐藤池球場で行われた1回戦。新潟県央工のユニフォームを身にまとった鈴木大成さん(20)はそう言って笑顔を見せた。ことし4月から母校の外部コーチとなり、ノッカーとして久しぶりに佐藤池球場に足を踏み入れた。ここは高校野球生活、最後の試合を戦った球場だった。

母校・新潟県央工の外部コーチとなった鈴木大成さん 高校生と見間違える姿である

3年前、鈴木さんが主将を務めた新潟県央工は春の県大会で準優勝。鈴木さんは広角に打ち分ける打撃でチームをけん引し、北信越大会でも1勝を挙げ、優勝候補として最後の夏に挑んだ。

しかし、2015年7月10日、佐藤池球場で初戦となる2回戦に臨んだ新潟県央工は好投手擁する柏崎と対戦。1対1で迎えた8回に3点を奪われ、1対4で敗れた。鈴木さんたち選手にとってはまさかの初戦敗退。三塁側の球場入り口で泣き崩れる選手たちの姿が今も脳裏に焼き付いている。

現役時代の鈴木大成さん 広角に打ち分ける打撃とリーダーシップでチームをけん引
2015年度の優秀選手表彰も受けた


2015年7月10日、初戦敗退で泣き崩れる鈴木さん(左端)ら選手たち
集まった保護者に涙でお礼を言う姿が印象的だった(佐藤池球場)

初戦敗退というショックから、高校野球の引退後は「もう野球はやらない」と心に決めていた。しかし、地元企業に就職後、知人に誘われ軟式野球を始めると、チームは全国大会に出場。高いレベルのチームを目にして再び野球の面白さに気づかされた。

「もっと野球のことを勉強したいと思いました」

そんな時、高校時代の部長だった星野耕一監督(47)から連絡を受けた。

「外部コーチとして、後輩たちの面倒をみてくれないか」

星野監督はその意図を説明する。
「私がもうおじさんなので(笑)。私と部員の間に入ってほしいと頼みました。部員たちの日頃の悩みや不安、不満や自慢話・・・監督の私に言えないような色々な話を、年齢が近い大成にだったら話してくれるのではないか、それを通じて部員と私の橋渡しになってほしい、と頼みました」

部員たちと談笑する鈴木大成さん(左から2人目) お兄さん的存在となっている

鈴木さんはことし4月から母校の「外部コーチ」という肩書きをもらった。土日祝日を中心に練習に参加。平日でも仕事が終わった後に駆けつけ、部員たちの自主練習などを見守っている。

平石宗雅主将は「同じ主将として、春先の練習試合で勝てなかった時にチーム全体でどう戦ったらいいのかやチームの雰囲気づくりなどを相談しました。大成さんからは『まだ春の段階だから目先の勝ち負けは気にしなくていい』とアドバイスを受けました。自分たちは中学3年の時に大成さんたちが春に準優勝したのを見て入学を決めた世代。何でも話しやすくて、大成さんが来てからチームの雰囲気が明るくなりました」と話す。

技術的な指導以上に、部員たちにとって鈴木さんはよき「お兄さん」的な存在となっている。

8日の1回戦を勝利した新潟県央工(佐藤池球場)

新潟県央工は8日、佐藤池球場で1回戦の高田農戦に臨んだ。佐藤池球場は3年前、鈴木さんが涙を流した因縁の球場だった。

「なぜきょうもここなのかと思いました。しかも同じ三塁側(笑)。自分たちは春に準優勝しましたが、夏は初戦負けでした。後輩たちにはその時の経験や夏の一発勝負の怖さを話してきました」

結果は7対0でコールド勝ち。スタンドから後輩たちの姿を見守った鈴木さんは「校歌を聞いた時には涙が出そうになりました」と笑顔を見せた。

「3年前のあの時は、もう二度とこの場所には来ないと思っていました。その場所にこうやって再びユニフォームを着て、ノックを打って・・・縁を感じます。正直、こうやって野球をやれることが今は滅茶苦茶うれしいんです」

試合後、笑顔の後輩たちが鈴木さんの周りを囲んだ。涙で終わった自らの高校野球。現役時代に負けた直後はこんな未来が待っているとは考えてもいなかった。鈴木さんは今、後輩たちと一緒に「甲子園」を目指す喜びを感じながら、「高校野球」の新たな歩みをスタートさせた。

1回戦後、後輩たちと記念写真に写る鈴木大成さん(中央)
涙で高校野球を終えた思い出の地で、新たな一歩を踏み出した

(取材・撮影・文/岡田浩人)


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