6月に初の凱旋試合を迎える新潟県出身の女子プロ野球選手・益田詩歩さん

女子プロ野球選手となった今も、「自分の野球の原点は長岡」と言い切る。

益田詩歩選手、1988年長岡市生まれの24歳。
身長164センチ。右投げ左打ち。すらりと伸びた手足、さわやかな笑顔が印象的な女性だ。
2010年に開幕した日本女子プロ野球リーグ。
その1年目から活躍する新潟県出身の唯一の女子プロ野球選手だ。
今季から新しくできた「ノースレイア」に所属する。
20130224益田詩歩選手

野球を始めたのは長岡市立川崎東小学校4年生の時。
「当時、女の子が野球をするのは珍しくて、目立ちたかったんです」
小学校6年生の時の夢は「プロ野球選手」。巨人の長嶋茂雄終身名誉監督に憧れたというから、この年代の女の子にしてはかなりのツウだ。巨人のユニフォームに袖を通す自分を夢見ていたという。

中学校では硬式野球チームの長岡シニアに入団。女子選手は1人だけだった。
そこで男子とのレベルの差を痛感したという。
「当時の長岡シニアは全国大会へ行くほどの強いチームでした。自分は打撃も非力だし、肩も弱いし・・・でもどうやったらチームに貢献できるかをずっと考えていました。チームには日本代表に選ばれるような男の子もいて、その選手の動きを見て勉強したり、練習の時から1球1球を大事にする姿勢を見て、野球への取り組み方を学びました」
男子にまじって公式戦に出場したのはわずか2打席のみ。その最後の打席でヒットを放つとチームのみんなが自分のことのように喜んでくれた。

中学卒業後に選んだ進路は、女子硬式野球部の強豪・埼玉栄高校だった。
「女子の中でトップ選手になりたい」
高い志を持って過ごした3年間。全国制覇も経験した。
国士舘大学に進学後も、硬式野球部の練習生として男子にまじって練習に励んだ。
しかしどんなに頑張っても、女子では「プロ野球選手」になれないことを実感した。
そんな時、父親から「ゴルフならばプロ選手になれる」と言われた。
「ゴルフの世界でプロを目指してみよう」・・・大学2年生の時に休学し、オーストラリアにゴルフ留学。野球は諦めた、つもりだった。

2009年秋、留学先のオーストラリアで日本に女子プロ野球のリーグができることを耳にした。
子どもの頃から思い続けた「プロ野球選手」の夢が叶うかもしれない・・・。
自分の中で野球への思いが膨らむのを抑えることができなかった。
居てもたってもいられず日本へ帰国。プロテストとなるトライアウトを受験した。
持ち前のガッツとシュアなバッティング、広い外野の守備範囲を買われ見事に合格。
2010年4月、兵庫スイングスマイリーズの選手として念願の「プロ野球選手」としてデビューした。
IMG_0814

「自分はそんなに足も速くない。ホームランが打てる長打力がある訳でもない。でもチームの中で何ができるかを常に考えています。それは長岡シニア時代に男の子にまじってどうやったらチームに貢献できるか考えていたことが生きています。足が早くなくても捕手の構えを見て守備位置を決めることでカバーしたり、常に頭を使ってチームに貢献することを考えています」

益田選手は2010年、2011年は兵庫に、2012年は大阪ブレイビーハニーズに所属。3年連続で所属チームがリーグ優勝に輝いた。特に2012年はレギュラーとして39試合に出場し、打率2割7分7厘、7盗塁とリーグ優勝に貢献した。

今シーズン、女子プロ野球リーグは3球団から4球団に増え、関東にもチームが誕生した。益田選手は「ノースレイア(北日本)」に所属する。
6月22日(土)23日(日)は新潟県では初の女子プロ野球の公式戦が見附運動公園野球場で開催されることが決まった。地元での凱旋試合へ気持ちも高まる。

「素晴らしい力を持った選手たちの中で、自分は考えながらプレーすること、1プレー1プレーを見る力は誰にも負けないつもりです。私はそれほど力があった訳でも、うまかった訳でもなかったけれど、プロ野球選手になることができた。そういう姿を新潟のファン、特に女子野球を頑張っている女の子たちに見せたい。今シーズンの目標はチームを優勝させること。でも私の使命は女子野球を日本に広めることなんです」

IMG_0813

(取材・文/岡田浩人 写真協力/BBガールズ普及委員会)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です