明訓OB・阪長友仁さんが新潟市で講演 世界で野球の普及に取り組む

新潟明訓高で夏の甲子園で本塁打を放つなど活躍し、現在は世界各地で野球の指導・普及活動をおこなっている阪長友仁さん(32)が9日、新潟市で講演をおこなった。1週間前に中米・グアテマラ共和国から帰国したばかりという阪長さんは、「世界に誇れる日本の野球を目指して」というテーマで講演し、世界の野球に触れた実体験と今後の目標を熱く語った。

講演をおこなう阪長友仁さん

大阪府交野市出身の阪長さんは、1997年に新潟明訓高に入学。同校を選んだ理由を「甲子園に行けて勉強もできる学校に進学したかった」と話す。3年夏の1999年に新潟大会で優勝し甲子園に出場。長打力のあるトップバッターとして、甲子園1回戦の宇和島東(愛媛)戦では本塁打を放つなど勝利に貢献した。立教大学では4年時に主将も務めた。

大学卒業後、大手旅行代理店に就職したが「野球で恩返しがしたい」と2年で退社し、単身で渡ったスリランカやタイでナショナルチームを指導。アフリカ・ガーナでは代表監督を務め北京五輪予選に出場した。その後、JICA(国際協力機構)の青年海外協力隊として2年間、コロンビアで中高生に野球指導をおこなった。先ごろまで中米・グアテマラでJICA企画調査員として野球以外でも国際協力に貢献してきた。2007年にニューズウィーク日本版の「世界が尊敬する日本人100人」に選出されるなどその活動が注目されている。

講演で阪長さんは海外で指導するうちに「純粋に野球を楽しむ子どもたちを見て、野球を始めた頃に夢中でバットを振っていた気持ちを思い出した」と語った。JICAの活動で触れたラテンアメリカの野球について、「現在100人のメジャー選手がいるドミニカ共和国にはメジャー球団のアカデミーが36あり、厳しい生き残り競争はあるが、日本のプロ野球施設よりはるかにいい環境で練習をしている」と話した。またドジャース傘下のアカデミーで25年以上選手育成に携わっているアントニオ・バウティスタ氏との交流で印象に残った出来事として、「右打ちをしようとした子どもが打ち損じた時に、バウティスタ氏は『今のチャレンジ、俺は好きだ!』と明るく子どもに声をかけていた。子どもは笑顔で次の打席に入った」と失敗しても責めない指導方針を挙げた。「中学生は15球までしか投げさせないし、高校生にも連投はさせない。彼らが10年後、15年後にどれだけ活躍できるかを考えて指導している」と日本の青少年野球指導との違いにショックを受けたという。阪長さんは「日本からどんどんメジャーやプロ野球で活躍する選手が出て欲しいが、日本と中南米では指導の仕方に差がある」と話した。

中南米の野球事情について説明する阪長さん

一方で、「日本には礼儀正しさや道具を大切にする心、グラウンドにゴミを捨てないなど良い所はたくさんある。ただもっと改善できるところもある。大阪には既に古い慣習にとらわれず球数制限をおこない目先の勝利にこだわらないチームも生まれている」と話し、自分自身についても「日本のシステムを変えることはすぐには難しいが、僕は僕の立場で知ったことは日本の人に伝え、できる可能性があることは失敗を恐れず、“打席に立って”チャレンジをしたい」と今後の決意を話した。

講演後、阪長さんは「新潟に来るのは3年ぶり。高校時代の3年間、のびのびと野球をやらせてもらいました。今後はまた別の国で活動したい。将来的には自分の経験を日本で還元したいと考えています」と語った。

(取材・撮影・文/岡田浩人)