“甲子園の4番バッター”の父を持つ2人 中越・治田丈と県央工・鈴木大成

ガツン・・・そう表現した方がいいほどの打球音が響くとボールはあっという間にレフトの頭を越えていった。
10日におこなわれた北信越高校野球・新潟県大会の3回戦。
中越対県央工。
この日、中越の先発メンバーには公式戦で初めて4番バッターに抜擢された1年生、治田丈(はった・じょう)の名前があった。その第4打席。インコースのボールをとらえた打球は、レフトオーバーの二塁打となった。1年生ながら鮮烈な“4番デビュー”を果たした。
「試合前は緊張していましたが、父からも『いつも通りに思い切っていけ』と言われて試合に臨めました」

8回裏、左越え二塁打を放った中越・治田丈選手

治田の父、仁さん(46)は、今から28年前、中越高校で4番バッターを務めた。1985年、PL学園の桑田真澄と清原和博の“KKコンビ”が最後の夏を迎えていた甲子園大会。新潟代表として出場した仁さんは初戦で香川代表の志度商と対戦し、延長10回、4対6で惜しくも敗れたものの、3安打を放った。そのうち1本はあと少しで本塁打というフェンス直撃の特大スリーベース。チャンスに強いスラッガー、紛れもない『4番バッター』だった。
「治田」の名前は今でも古くからの高校野球ファン、特に中越高校のファンの記憶に刻まれている。
その「4番・治田」が帰ってきた。グレーのユニフォームに身を包んで。

小学3年生で野球を始めた治田を、父・仁さんは何も言わず見守っていた。ある日、試合で三振をして最後のバッターになってしまった治田は、帰宅すると泣きながら父に懇願したという。
「僕に野球を教えてください」
仁さんが振り返る。
「俺の練習は高校レベルだ、厳しいぞ、それでもついてくるか?と聞いたら、うん、とうなずいた。それからはもう“星一徹”ですよ(笑)」
父がホームセンターで買ってきたネットを使って、毎晩、父と子のバッティング練習が繰り広げられた。父の厳しい言葉に、息子は泣きながらバットを振り続けた。
燕市立吉田中学校時代にスラッガーとしてその名が知られるようになった治田は、高校進学にあたって父と同じ中越高校を選んだ。ことし夏の新潟大会では1年生ながらベンチ入りし、準々決勝の日本文理戦の9回には代打で起用されると、センターオーバーの二塁打を放ち、スラッガーの片りんを見せた。
そして迎えた秋の大会。中越の本田仁哉監督は3回戦で治田を初めて4番に起用した。「あの位置(4番)でどっしりと育って欲しい選手」と期待を寄せる。

治田仁さん(左)と中学時代の治田丈選手(去年7月撮影)

中越の対戦相手、県央工にもまた、“甲子園の4番バッター”を父に持つ選手がいた。1年生の鈴木大成(たいせい)。父は1988年夏、中越高校で甲子園に出場した裕二さん(43)。治田仁さんの3年後輩。184センチの大柄な体で4番とキャプテンを務めた選手だった。
息子の鈴木は現在の身長は170センチに届かない。自ら「父と違って体が小さいので、パワーではなく、次のバッターにつなげる役割を果たすことでチームに貢献したい」と話す。

10日の3回戦で2番ライトで初めて先発出場した県央工・鈴木大成選手

中学時代、長岡東シニアで硬式野球を経験。裕二さんは息子に「俺とは体つきが違うのだから、いかに塁に出るか、いかにボールを見極めるか、フォア・ザ・チームのバッティングを指導しました」という 高校進学にあたって進路に悩んだ末、父の恩師あった鈴木春祥元中越高校監督の息子・鈴木春樹監督が率いる県央工を選んだ。
「父を教えてくれた監督の息子である春樹監督のもとで野球を学びたかった」
鈴木は1年生ながらこの秋の大会で背番号18を与えられた。10日の3回戦は父の母校である中越高校が相手。この試合で初めて「2番・ライト」で先発出場を果たした。

県央工の鈴木春樹監督が言う。
「足が速く、バントも上手い。何より父親が『中越』の4番だった選手なのに、あえてウチに来てくれた。その気持ちに期待しました」
スタンドからは父・裕二さんが息子の姿を見守った。
「正直言うと息子がグレー(中越)を相手にして戦うことになるとは・・・。でも1年生なのに起用されて驚きました」スタンドから県央工の応援をする鈴木裕二さん(中央)

治田と鈴木。
奇しくも“中越の4番バッター”を父に持つ2人が、初めて交錯した公式戦。
試合は1回裏、中越が2本のヒットで1点を先制した後、4番治田がチャンスを広げるセンター前ヒットを放つ。この回もう1点を追加し、試合を優位に進めた。
県央工のライトを守った鈴木は2回、中越の先頭打者の難しいフライに対し、俊足を飛ばしてライン際で好捕し堅実な守備を見せた。しかし攻撃では、3回にチャンスで送りバントを決めることができず、4回途中で交代した。

スタンドには中越高校の鈴木春祥元監督(70)の姿があった。自らの教え子である4番バッターたち。その息子たちが、甲子園を目指して戦う姿に目を細める。
「治田(仁)も(鈴木)裕二も不動の4番バッターだった。あの子たちの子どもがもう高校生になって野球をやっているのかと思うと、時の流れは早いと感じる。治田の息子は体が大きくて父親のようなバッティングをしてほしい。裕二の息子は広角に打てるシュアなバッターを目指してほしい。自分も、治田も、裕二も、息子に野球をやれとは言ったことはないのに、こうして野球をやっている。子どもは父親の背中を見て育っていくんだなと感じます」県央工・鈴木大成選手(左)と中越・治田丈選手(右)

試合は中越が6対2で県央工を破った。
試合後、県央工の鈴木大成は目を真っ赤にして声を絞り出した。
「つなげるという自分のプレーができませんでした。父の母校である中越を倒したかった。この悔しさを忘れず、来年夏にぶつけたいと思います」
一方、2安打を放った中越の治田丈も、自分のバッティングに満足していなかった。
「偉大な父に肩を並べられるように、どんなコースでも対応できるよう努力したいです」
甲子園の4番バッターを父に持つ2人の1年生。その高校野球での“物語”は始まったばかり。父親の活躍が新潟県の高校野球史に刻まれたように、息子たちが新たな歴史を作っていく。

(取材・撮影・文/岡田浩人)