【高校野球】大井道夫氏の「功績を讃える会」に教え子ら400人集う

日本文理高校の野球部監督を31年間務め、昨秋で退任した大井道夫総監督(76)の「功績を讃える会」が11日、新潟市のホテルで開催された。野球部OB会と後援会が主催し、教え子や高校野球関係者など約400人が集まった。大井総監督は「皆さんと知り合えたことが一番の宝物。これから少しでも野球界にお返ししたい」と感謝の言葉を述べた。会には甲子園の決勝戦で対戦した中京大中京の大藤敏行前監督やスポーツキャスターの長島三奈さんらも駆け付け、大井総監督の長年の功績をたたえていた。

挨拶する日本文理・大井道夫総監督

大井総監督は1941年生まれで栃木県宇都宮市出身。宇都宮工業高校で3年夏にエースとして甲子園準優勝を果たした後、早稲田大学で活躍。卒業後、宇都宮市で家業の割烹料理店を経営していたが、1986年に知人を通して依頼され、新潟市の日本文理高校の監督に就任。1997年夏に甲子園初出場を果たすと、春5回、夏9回の甲子園出場を果たした。特に2006年春には新潟県勢として選抜初勝利を果たし、2009年夏の甲子園では新潟県勢初の決勝戦に進出し準優勝。2014年夏には甲子園ベスト4進出を果たすなど、新潟県の高校野球界をけん引してきた。昨年秋で監督を勇退し、現在は同校野球部の総監督を務めている。

大井総監督は壇上の挨拶で、「2年間という約束で新潟に来た。それが31年経った。今思うと、嬉しいこと、悲しいこと、楽しいこと…いっぱい経験させてもらった。たくさんの教え子、保護者、野球関係者、皆さんと知り合えたことが一番の宝物」と31年間を振り返り、感謝の言葉を述べた。

会場には大井総監督が準優勝投手となった1959年夏の甲子園の準優勝楯が宇都宮工業高校から特別に運ばれ、壇上に並べられた。

左が宇都宮工業から運ばれた選手時代の準優勝楯 右が2009年夏の準優勝楯

乾杯の挨拶には新潟明訓高校前監督で、現在は新潟医療福祉大の佐藤和也監督が立った。佐藤監督は「長らくライバルとして甲子園を目指してきた。実は県内の監督の携帯電話番号はほとんど知っているが、大井さんの番号はいまだに入っていない。現役監督の時は『ライバルとは意識したことはありません』と言い続けてきたが、それくらい意識をして、大井さんに勝つ…そのことだけを思って、29年間明訓で監督をしていた。大井さんに勝てば何とかなると、自分の人生を切り開けると思い野球をやっていた。そういう意味で野球をやってきた中で一番意識をしてきた人。この乾杯が終わったら、ぜひ携帯電話の番号を教えていただきたい。そして新潟県のために益々ご活躍してほしい」と笑いを交えて挨拶し、乾杯の音頭を取った。

乾杯の挨拶をする新潟医療福祉大・佐藤和也監督(左)


会場には野球部OB、高校野球関係者など約400人が集まった

会ではサプライズゲストとして、スポーツキャスターの長島三奈さんと、2009年夏の甲子園決勝の実況を担当した朝日放送の小縣(おがた)裕介アナウンサーが登場し、2009年夏の甲子園準優勝メンバーの高橋隼之介さんが司会を務め、4人で当時の思い出を振り返るトークショーを行った。

長島さんは「接戦で力を発揮できるのは選手との信頼関係があればこそ」と甲子園での日本文理の思い出を振り返った。大井総監督は「試合になったら監督が打席のそばに行けるわけではない。選手に任せるしかない。だから普段の練習から課題を自分で解決できるようにと指導してきた。ウチの伝統になっている」と話した。小縣アナウンサーは「日本文理(2006年)の横山竜之介投手、中越(1994年)の穐谷(正人)投手など、新潟県の野球は投手を中心に守り勝つ野球のイメージだったが、2009年の日本文理は打撃重視。その後も送りバントをしない野球が甲子園でも広がっている」と攻撃重視の考え方が全国に広がっていることを強調した。

2009年夏を振り返って、「甲子園には“野球の神様”がいるようだ」と話す大井総監督の言葉に、小縣アナウンサーが「“魔物”ではなく“神様”とおっしゃるのが大井総監督らしい」と感想を漏らし、会場の多くの人が頷いていた。

長島三奈さん(右端)が登場 小縣裕介アナウンサー(左端)と思い出を語る


09年夏準優勝メンバー・高橋隼之介さん(右端)と4人で記念撮影

OBを代表して、2009年夏の甲子園準優勝の伊藤直輝投手(ヤマハ)が壇上で挨拶。「監督から『野球人である前に社会人であれ』『両親への感謝を忘れるな』と教わった。監督の教えがなければ、甲子園での準優勝、そして今も野球をしていること、社会人として生きることはできなかった。監督の姿勢は今でも私の基礎となっている。これからも総監督としてご活躍を」と恩師に感謝の言葉を述べた。

また、会場には来賓として中京大中京の大藤敏行前監督が出席した。大藤前監督は取材に対し2009年夏の思い出として、「決勝戦が終わった後、両校一緒になっての写真撮影の時、大井監督から『(杉浦)藤文にいい報告ができるな』と言われた。杉浦監督は僕の高校時代の監督で大井監督の早大の同期だった方。その瞬間、『きょうは勝つことができたが、人間の器として、とても大井監督には勝てない』と思った。こういう人間にならなければ子どもの教育というのはできない」と大井監督に敬意を表した。その上で、「4月からまた享栄高校の監督として復帰することになった。大井監督の心を目指して監督をやりたい」と現場復帰への意気込みを語った。

甲子園準優勝の伊藤直輝投手(左)と中京大中京の大藤敏行前監督


教え子の元プロ投手3人も駆け付けた 左から本間忠さん(元ヤクルト)、吉田篤史さん(元ロッテ)、横山龍之介さん(元阪神)


小縣アナウンサーと2009年夏の準優勝メンバー

会の最後に挨拶に立った大井総監督は、野球人口の減少について触れ、「小学生には野球の楽しさを教えてほしい。新潟の野球界を下から盛り上げてほしい」と野球関係者に求めた。その上で、「私が元気なうちにぜひ新潟県から全国制覇を」と話し、出席していた後輩監督たちを叱咤激励していた。

(取材・撮影・文/岡田浩人)


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